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臨時市議会を振り返って、やっぱり煎じつめれば日米安保の問題に行き着くなと思った。
私が登壇して討論を行っている最中に自民党の議員から「じゃ、誰に頼ればいいんだよ~」というヤジが飛んだ。このヤジは私が中曽根元首相ですら“アメリカにぶら下がっていればなんとかなった”時代はもう過ぎ去っているといったような趣旨のことを発言したことを引用してしゃべっていたあたりでのことだった。私は内心ニヤリとした。なんてわかりやすい反応だろうか(笑)
この誰かに頼らなければ国家を運営できないという発想こそが、もう時代遅れだ。つまり同盟などというある国とだけ特別の関係を築くということじたいが、もうこれからの時代には“なじまない”のだ。
日米安保の問題をもっと煎じつめれば、結局武力で他国を威嚇し、そのことの抑止力で「平和」を保つという発想がどうなのか?というところに行き着く。
控え室に帰ってきてから自民党議員の「じゃ、誰に頼ればいいんだよ~」との発言にねぎしかずこ議員は「憲法9条に頼ればいいのよね。」と言って私もそれには大きくうなずいた。つまり武力による威嚇での抑止力は本質的に脆弱であり、本当の平和ではないということだ。
「共産党はぜんぜん現実を見ていない。北朝鮮が攻めてきたらどうするんだ?」そう反応する人もいるだろう。世界情勢とか軍事力とかを展開してこの問題を深めていくのが、今の私の気分ではない。何が言いたいかっていうと、アオいこと言うようだけど、これはこれからの世界へのロマンあるビジョンなんだ。
何年先になるか、何十年先になるか、あるいは何百年かわからないけれど、必ず来る、武力によらない平和な世界が!人類は知恵と経験できっとこのことを獲得する。私はそう信じている。度はずれた楽観論者のたわごとだと思われてもかまわない。
そんなことを念頭におきながらこの臨時市議会をたたかった。
投稿情報: 07:34 | 個別ページ | コメント (4) | トラックバック (0)
臨時議会が終わりクールダウンしているところ・・・・ちょっと時間がかかりそう。全く私的に言わせてもらえば、こういうエポックな時に市議会議員をやらせてもらってホントに嬉しい。幸せだぁ。
原子力空母の是非と安全性を問う住民投票条例は賛成8反対33で否決された。否決されても全然負けた気になれない。これは負け惜しみでもなんでもなくて市民のエネルギーの強さってことだ。
今日は第1次感想ということでこのくらいにしとこ。
今日の大村洋子の反対討論の全文を以下に載せます。
私は日本共産党市議団を代表して議案第53号原子力空母の配備及び安全性を問う住民投票条例制定に賛成の立場で討論いたします。
3日間に渡って繰り広げられたこの住民投票条例制定の論議は昨年の臨時市議会にも増してさらに多くのことを市議会へもたらしました。私は市議会議員として今回の条例制定の論議に加われたことを感動をもって心から市民の皆さんに感謝したい気持ちでいっぱいです。
昨日の5人の請求代表者の方々の意見陳述は、お1人お1人がどれほど横須賀を愛しているか、どれほど横須賀をよくしたいと思っているかがひしひしと伝わり胸打たれました。5人の方々の思いこそ、42万横須賀市民の率直な気持ちであり、真摯な態度で向き合わなければならないものです。
原子力空母ジョージ・ワシントンの入港を目前にして、このままで本当にいいのか?という問いかけは、基地のまちとしての歴史を刻んでこざるを得なかったこの横須賀の本来のありようを問い私たち1人1人がこのまちの未来に思いをはせ、これからの横須賀をどうしていくのかという問題提起となりました。
このような市民のエネルギーを前にして、市長は「原子力空母の問題は国の専管事項で住民投票はなじまない」と本質的なこの条例制定の意義を全く理解しないがばかりか、あるいは恣意的に矮小化するすり替えの答弁に終始しました。
市長は1度目の直接請求の結果について「市民の代表である議会が否決を出した」と自らの態度表明を棚上げにしました。横須賀の港湾管理権については、自治事務として市の姿勢をはっきり打ち出すことができるのに、港湾管理者としての権能を自ら放棄し、自らの手足を縛ってしまうような発言に終始してしまい自治権を狭めおよそ市民の代表としての立場からは程遠い姿勢をあらわにしたと言わざるをえません。
原子力空母配備は、たとえ防衛、外交という日米政府間の問題であったとしても配備されるのはこの横須賀であり、地元の市民が賛成、反対いろいろな思いを表明したいというのは、当たり前の感情でありそれをしっかりうけとめるのが市民の代表である市長の役割です。
今回の条例制定の論議は国と地方の関係、地方自治体の自治権とは何かという問題提起もはらんでいました。地方分権と唱えるより、真に住民の意をくんで行動することが重要な時代を迎えています。
日米安保の心臓部であるこの横須賀で原子力空母の配備について、直接市民の中から論じあおうという空気が2度に渡って巻き起こったことは重大な意味をもっています。
世界の憲兵たらんアメリカが武力で他国を支配する時代は終わりを迎えています。先日のサンデープロジェクトというテレビ番組の中でも1980年代ロンーヤスコンビでアメリカとの強い同盟関係を強調していた自由民主党の中曽根康弘元首相が「今まではアメリカにぶら下がっていればなんとかなった、だが、今は世界が非常に多元化してきた」と発言されていました。曇りのない眼で見ればまさに今、世界は音をたてて変わりつつあり、アメリカこそが世界の中心という考えは時代遅れとなっています。アジアでもヨーロッパでもラテンアメリカでもすでに新しい流れが作られ世界は再構築されつつあります。そういう意味ではここ横須賀から巻き起こった今回の直接請求の運動はこの流れと同じ源流をもった潮流であり小さいけれどもしかし確実な流れということができます。
横須賀市は昨年100周年を迎え新たな100年に向け船出したばかりです。
私たちの先輩たちはどんな思いでこの横須賀に暮らしてきたのでしょうか。。1950年、戦争が終わってこれからは平和で住みやすく活気あるまちをつくろうということで旧軍港市転換法が成立し平和産業港湾都市としての歩みをはじめました。
外交、防衛は国の選管事項と逃げる前に先人たちの思いがいかばかりであったのかに思いをはせることは大切なことです。脈々と受け継がれ今にいたっているこの市民の思いを今一度しっかりと受け止めなければなりません。
私たち日本共産党市議団はこの市民の思いをがっちりと受け止め住民自治の流れをさらに推し進める立場から条例制定に賛成をいたします。
ありがとうございました。
投稿情報: 19:04 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
こうして夜も更けて静かな時間が訪れると、ふっと考えたりする・・・・。
生きている実感は・・・あるか・・・ってこと。
ミャンマーとか中国四川省で大規模なサイクロンや地震が続いて、テレビからは息絶え絶えの人々が映し出される。ご飯を食べながら家族とテーブルを囲んでいる私。わが子が死んでしまったと嘆く父親。同じように今を生きていても、全然違う境遇。
大自然の前では人間なんてアリンコみたいだ。
せめても義援金をおくろうかな。
他国のことでもつらいね。
投稿情報: 23:01 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日、臨時市議会の2日目はタイトルの質疑が議員と市長の間で交わされた。
日本共産党からは団長の井坂しんや議員が登壇した。井坂さんの質問はピンポイントで市長の姿勢を鋭く的確についていて、とても良かった。とりわけ、国と自治体の関係、専管事項と自治体の自治権について掘り下げて市長に迫っていった。昨年から引き続くこの2度目の住民投票条例制定の論議の新たな地平を築いた感触を私はもった。市長はというと、「外交問題は国の専管事項なので、住民投票はなじまない」これを10回くらい繰り返していた。(20回かな)
細かい中身と見解は臨時市議会が終わってからたっぷり書きたいと思う。何分、まだ途中だし、井坂さんから引き継いで今度は大村が頑張る番だから。
しかし、感じるのは市民の運動ってのは、これほど議会の論議を深める起爆剤になるのだなぁということ。改めて、この署名運動の意義の大きさを実感した。可決、否決は16日に決まるのだけど、もうすでに今日の時点でこの論議は大方の効力を発揮したなと思った。この運動が議会の地平を引き上げ市長の姿勢を浮き彫りにし議員の態度も浮き彫りにする。
横須賀市制、100年目、101年目新しい風が吹き始めた気がしたのは私だけだろうか?まだまだ微風だけど、それは何かの徴候かも・・・・。
画像は8月19日に配備が目論まれている原子力空母ジョージワシントン。
下記の方より拝借。
投稿情報: 22:38 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日はそう言えば、母の日だったなぁ。考えてみりゃ、私も母のはしくれだった。息子が母の日に何かしてくれたこと・・・・記憶にございません(笑)保育園の時にカーネーションか何かのお花が画用紙に貼り付けてあって、それに“お母さんありがとう”とかって、クレヨンで書かれてあったのをもらった・・・あれが最後だ。でも、あれって2歳か3歳だから、本人の意思じゃなかろうし・・・。まっ、さみしい母でござんすよー。
でも、本人にその気は全くなかろうが、昨日はちょっと嬉しかったな。なぜってさ、息子が運転する車に初めて乗ったんだもの。福島県の郡山へ行き合宿で教習を受けてきた。そして、つい最近二俣川で免許証を獲得したってわけだ。
大人になったなぁ。役に立つようになったじゃないかぁ・・・。母はうれしいよ。
さて、娘である自分を振り返ると母親にはずいぶん余計な心配をかけたと思う。ただのフツーのオバサンだった母には本当に耐えがたい苦労だったろう。
1990年に母が死んでもう18年がたつ。一緒に住んでいる頃は疎ましくて仕方なかったが、今となっては忙しい毎日をバックアップしてほしいなどと都合よく考えたりもする。
血のつながりってなんだろ・・・。
画像は右記の方から拝借。 http://blog.asakusakaen.com/?eid=371121
投稿情報: 19:52 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
5月にしては寒い日曜日、しかし午前中まで降っていた雨も上がり、会場は熱気で盛り上がった。
よろずピースBANDの皆さんのユニークな歌、受任者の皆さんによる寸劇があり楽しい集会となった。
今日の集会は思想信条を超え主義主張を超え、住民投票を成功させよう!という1点でいろいろな団体が結集した。
横須賀の運動の歴史にとってすごく大きなエポックとなった。
私は参加者の1人として、集会に参加した喜びを身体で感じ、また市議会議員として集会参加者のエネルギー、市民のエネルギーを思う存分充電した。参加した皆さんはどの人も晴れやかな爽やかな誇らしい笑みを湛えていた。
投稿情報: 21:05 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
52.438筆!今回の署名数は前回よりも1万筆以上多かった。すごいことだよ、これは。昨年の臨時市議会では市民の奮闘にもかかわらず、条例制定には至らなかった。普通、それで、シュンとなっちまうところだが、それでも短いスパンで再度挑戦するってこの、心意気!素晴らしいじゃないかぁ。
前回、傍聴席で議会を見守っていた私は、今回はこの議案がかかる総務常任員会で質疑をし、最終日、賛成討論で登壇する。今日はちょうど雨で、晴耕雨読じゃないけれど昨年の臨時市議会における市長と議員と理事者の発言を振り返っていた。
さあ、さあ、はじまり、はじまり~だ。
全国の皆さんも注目しているぞ~。
* * * * * * * * * * * *
市民のみなさん、お誘い合わせて傍聴にきてください。
議会の日程をお知らせします。
5月13日(火)10時~市長の提案説明と市長、議員の質疑
5月15日(木)10時~請求代表者5名の意見陳述
5月16日(金)11時~賛成・反対の討論、採決(記名投票)
(傍聴席へはエレベーターでR1階へお越しください。)
画像は昨日付けの神奈川新聞の社説。「一度は市議会で否決された請求が勢いを増す形で再提出された意味は大きい。」「基地を抱えるがゆえの住民の不安。地方議会として、この現実に向き合う姿を見せてほしい。」と書いている。
投稿情報: 16:34 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
「交流人口の増加」とか「観光資源」なんて言葉が自治体運営ではよく飛び交う。“るるぶ”という雑誌が三浦半島の3市1町の情報を集めて最新版を出したので、さっそく手に入れてみた。
“るるぶ”とは、見る 食べる 遊ぶのそれぞれ最後のかなを並べて“るるぶ”としたんだと思った。たしか記憶では。
あっ、あのお店!って知ってるお店がいくつも出てきて面白い。
横須賀っていうと、日米の海軍のまち、軍都ってイメージが強い。それとこの前起きた米兵犯罪から、沖縄と並んで特に米軍基地があり、ちょっと怖いってイメージだと思う。
山口百恵ちゃんの歌に京浜急行の駅名がたくさん出てくる歌がある。えっと、あれ、なんて言ったっけな・・・そうそう「I CAME FROM横須賀」って曲だった。横浜方面から京浜急行に乗って横須賀方面に向かうと金沢八景くらいから緑がぐっと増えて海もちらちら見え始めていいなーって思う。
だから、横浜や東京からも、もっと多くの人々が横須賀へ三浦半島へ遊びに来てほしい。(京急や市長と意見が合っちゃった。珍しい~)
魅力あるまち・・・ってなんだろう。
すぐには難しいかもしれないけど、”基地のまち”ってのは返上したい。本来の海と緑、小高い丘や谷戸そういう横須賀ならではの自然を生かしたまちづくりがいいんじゃないかなー。
投稿情報: 22:37 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨今、小林多喜二の「蟹工船」の売れ行きがすごいそうだ。若い人々の非正規雇用が増える中で、派遣(最近はハケンとカタカナ書きがピンとくるかな)の労働者も増えている。ワーキングプアという言葉も馴染みになってしまった。
多喜二はプロレタリア文学の中心的作家だが、日本共産党員でもあった。その多喜二の「蟹工船」が今またスポットを浴びているというのは、意味深い。
先日、80代の党の同志(私はこの言葉、とても好きだ)のところへおじゃまして昔のことをいろいろ伺う機会があった。かなり貴重な資料も見せてもらい画像の「前衛・創刊号」も手に取ることができた。ちなみに私はこの前衛って言葉もすごく好きだ。
非合法の時代から連綿と受け継がれてきた私たちの思想。国民が、労働者が主人公となる社会を目指してその進歩のために力を尽くそうという、本当に純粋な思いで結集した集団。
今、横須賀の日本共産党の市議会議員は3名。安保の心臓部、もっとも日本の中で矛盾が集中する場所で踏ん張っている。(昨年、議員になった新人が少々頼りないが・・・笑)
時間という歴史と地域という空間を常に視野に入れながら、“今、ここ”でやれることをやっていこう。先人たちの苦労を偲びながらそれらを継承・発展させていこう。
前衛・創刊号を前にして武者震いした。
投稿情報: 23:29 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
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