昨日、たまたま阪神・淡路大震災で現地に向かい
遺体処理(この表現はキツな。でも変わる言葉がないな・・・)をした経験をもつ元自衛官の方と話す機会があった。
彼が言うには、現地での心のケアは全くなかったということで、
今回も現地で辛い職務にあたっている方々の精神的ダメージは計り知れないものだろうという。
本当に心配だ。
今回の大震災で死亡が確定した方は1万3000人余。行方不明者を考えると、最終的に亡くなった方々は今後増えていかざるをえない。
火葬もできずに一部土葬をしているとも聞く。
2008年の8月に横須賀でも遺体収容の大規模訓練を行っている。下記はその時の模様を書いた大村洋子のブログ。
http://yokoyokosuka.typepad.jp/blog/2008/08/post-21a3.html
私は、大地震、大津波、原発事故と続く大災害に、聖書のヨブ記を思い出した。
共産党の私が聖書を思い出すのもヘンな話だが、神がヨブに与えた試練と似ている気がした。
あくまで、これは比喩に過ぎないのだけど、つまり今回のこの出来事というのは、物がことごとく破壊され、人命も奪われていると同時に、今を生きる人々に多大な精神的苦痛を与えていると思う。このことが、今後の日本という国にどういう影響を与えていくのか。そこのところが、とても気がかりだ。
一方で、福島原発の清掃業務の求人に申し込みが殺到しているという。
1日3時間の勤務で時給が1万円だそうだ。
防護服や防護具を身に着けての作業というから、平たく言えば、放射能が身体に蓄積されていくこと覚悟の「ヤバい」仕事だ。
求人の呼びかけに応じた人は10人。どんな気持ちなのだろう。
原発事故が明るみになったばかりのころ、原発関連の仕事を長く行ってきて定年間近の方が志願されて、福島原発に向かう決意をされたという報道があった。
この国難打開のために
いろいろな立場の方がそれぞれの立場で、
自己犠牲性を発揮している。
私は胸が締め付けられる思いを持ちながら、自分はどうか、自分には何ができるか。何をすべきかを考える。
2011年新春「おひさま」
観音崎より望む
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