先日、日本共産党の地域支部の仲間とホームレスの人を福祉事務所に紹介して生活保護の手続きを取った。生活保護は基本的には住所がなければ取れないことになっている。窓口が市町村の福祉事務所になっているからだ。しかし、ホームレスの人は文字通り家がないのだから、住所を設定するのが一苦労となる。しかたないので、ご本人がいつも居るあたりに住所を設定することになった。
支部の仲間はとても思いやりのある人で、街でご本人を見かけるといつも心を痛めていたという。時々カンパまで渡していたが、とうとう業を煮やしてこりゃ、いっちょ、大村へ連絡してどうにかしてあげなきゃと思ったという。
ホームレスの人はほとんど間違いなく生活保護になる。生活保護法7条のいわゆる急迫保護というものにあたる。窮迫が急迫している。一刻の猶予もない。
しかし、私は経験上、放浪生活が好きだという人も知っている。放浪生活が好きなのに私のお節介で、その方を家につなぐということが、ご本人の本当の幸せだろうか?人間には様々な幸福感があるものだと学んだ。あくまでもご本人の意思こそ尊重されるもので、決して押し付けちゃいけないと思った。
さて、今回の方は実は他の行政区の施設(ホームレスのステップハウスみたいな)にいたこともあったが、そこでイジメにあい施設を後にしたことのある人だった。だから、今回また同じことが起こるのではないかと、トラウマみたいなものもありそうとう悩んだ。悩んだ末行くことを決意した。
人間は社会的動物であると言われる。社会性というのはアリやハチにもある。ひとつことを成し遂げるのに協力しあうことができるということだろうか。しかし、動物のそれは本能に基づいている。人間のようにシステムそれじたいを創意工夫で構築するほど高度な技ではない。
制度とか法律とか条例とか私たちの社会はそんなもので成り立っている。私の仕事はそれらをチェックし、より市民にとって使い勝手の良いものにいていくことだと思うが、その枠に収まらないことも時々出てくる。
人間の生きざま、幸福感とはとても複雑だ。
手塚治虫は「ブラック・ジャック」の中で、本間丈太郎に
「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね。」と言わせている。日々の活動の中で私も自戒する。
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