2週に渡り放映された実写版「デス・ノート」を息子に録画してもらい先日後半も観ることができた。ウチでは今、ちょっとしたデス・ノートばやりなのだ。夫が漫画も手に入れてくれてたので、今、読んでいるところ。
「デス・ノート」とは文字通りノートに名前を書かれた人物は死ぬというもので、死神が持っていたそのデス・ノートを夜神月(やがみ・らいと)という少年が手にする。尊敬する父のように将来は警察のトップを目指す正義感の強いらいとが法では裁かれない犯罪者をノートに書くことで抹殺していく。世界中で巻き起こる犯罪者の死を目の前にして人々は戸惑いながらもこの不思議な現象を「キラ」によるものだとして礼賛する。一方、警察は「L」という名探偵に依頼し事件の解決に動く。不思議なデス・ノート、第2のキラ、リュークとレムという2人の死神、ライトの恋人や家族を巻き込みながらストーリーが展開されていく。そして大きくは「キラ」VS「L」という構造が貫かれ観る者を釘付けにする。
ノートに書かれた人物は必ず死ぬというあまりにもシンプルな、しかしだからこそ惹き付けられるこの着想、すごいなと思った。ありえない!ということはわかっていつつも、のめりこんでしまう。オカルトとかミステリーは、現実生活からは程遠い。気分転換には最高の対象だと思う。
小中学校の頃にはアガサ・クリスティーとかエラリー・クイーンとか江戸川乱歩とかそんなものを良く読んでいた。探偵小説からその頃には既に推理小説というジャンルが確立されていた。テレビでは「コロンボ」の大ファンで謎解きの逆回路をたどるこのドラマの構造をすごく気に入っていた。完成度も高い。そういう流れでいくと「古畑任三郎」も大好きだった。三谷幸喜ってすごい人だと思う。日常茶飯事的なトリックが生活じみてて笑っちゃえる。
デス・ノートでは終始「L」にエールを送っていた(ほんのシャレ)やはり私の中には平気で人を殺していく(いくら犯罪者でも)らいとの本性には違和感があった。ちなみに私は死刑制度には基本的に反対だ。「L」は猫背でしゃがみいつも甘いものを食べている。明晰な頭脳の持ち主で自分のことを「わたし」といい言葉遣いは丁寧。見た目と本性のこのギャップ、アンバランスが面白い。らいとは最期はタガが外れたように自分を見失いジタバタしたが、Lは最期まで冷静沈着だった。同じ「子どもっぽくて負けず嫌い」でもずっとLの方が美しかった。
このデス・ノートを通じて正義とは何かとか人間の裁きの限界であるとか、分別を知るとかそんなことを考えた・・・・。それにしても勧善懲悪型の終わり方で安心した。水戸黄門や遠山の金さんを子どもの頃から見てきた私としてはこれで、安眠できるというものだ(笑)
今までいろんな映画やドラマで登場人物を見てきたけれど、私の中ではランキングベスト5に入るなー。Lはそのくらい惚れました。友達になりたいです。
投稿情報: 大村洋子 | 2008年2 月13日 (水) 23:11
Lを演じた松山ケンイチは、アジア各国でも大人気だそうで、訪問する松ケンを、そっくりさんたちが出迎えるそうです(笑・姉からの情報)。
それにしても、彼の存在感、続けざまに話すあのしゃべり方の威圧感は見事でした。途中で一度だけ見せた途方にくれた表情や、最後に分る孤児だったという経歴、夜神惣一郎に伝えた、「父親として立派でした」という言葉など、人間的な側面が心に残ります。現在公開中の映画を見たくなりました。
投稿情報: リコリス | 2008年2 月13日 (水) 06:27