1980年に開校し31年の時を刻んだ上の台中学校が、今日をもって閉校した。
ピーク時には830名の在校生がいたが、本年度は108名まで減少してしまった。
来月4月1日からは鴨居中学校と統合となる。
もともと鴨居中学校から分離をしてつくられたが、また鴨居中学校にひとつに帰っていくかたちだ。
4129名の卒業生を送り出した。
22歳になったうちの息子もその1人だ。
弥生時代中期からの遺跡がこの上の台から発掘され、三浦半島東部では最大規模だという。
生徒たちの合唱や言葉などもあり、泣いている子もいて、感動的な式だった。
自分のことも少し、思い出した。
私は珍しいと思うけど、中学は3年間とも違う学校に通った。
1年生の時は東京都江戸川区。
2年生の時は引っ越して千葉県船橋市。
3年生の時は、マンモス校だった学校が分離して新設校に通った。
だからなのか、違った環境に適応する能力は、まぁ、あるほうだと思う・・・笑・・・変化が好きで飽きっぽいとも言えるけど。
1年前は光洋小学校の閉校式。 それにも参加した。 しかし、なんとも寂しい。 息子にとっては、卒業した小学校と中学校、両校ともなくなるってことだ。 母としても寂しいね。
今日は議員としでなく保護者だった者としての参加だったな。心情としては。
今回の大震災と関連して少し、書くと
上の台中学校は、避難場所になった。
私は3月12日の8時過ぎに伺ったが、その際はもう家路につくご家族が校門を出るところだった。校長先生の話だと300人くらいの方が、避難してきたという。
高台にあるので、津波の際には役に立つ。
閉校はしたけれど、今後もすぐに売りに出すなんてやめて、(吉田市長、頼みます。)
地域の役に立つ場としての活用を望む。
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