「生活保護もとらずによく頑張ってきたね。」私はそう言われて愕然としたことがあった。息子が7歳から18歳までの約11年間ウチは母子家庭だった。正直な話、母子家庭になった当時は生活保護という制度すら知らなかった。幸いにも制度にたよることなく生活を維持できてきたが自分自身、まぎれもなく社会的弱者の部類に入っていたのだと、今更ながら考えさせられる。
私は自分の経験から「貧困と格差の問題」は自分自身の活動の軸だと考えている。もちろん社会の不正に怒り理想社会を築き上げるそのロマンにも魅力を感じているけれど、根源的な活動の原動力はやはり身をもって体験してきたことへの疑問や矛盾や不満だと思う。
先日公的扶助研究の関東ブロックセミナーに参加した。生活保護制度の現場で今どんな状況なのかを知りたいと思った。特に「年越し派遣村」での200人を超える生活保護申請がとおったのちの状況について知りたかった。「年越し派遣村」での200人を超える集団保護申請が通ったことは画期的なことだった。私はその記事を新聞で読んで目を疑ったほどだ。住所のない彼らがどうして保護の対象になるのだろうか?千代田区は英断を下したものだ!と思った。しかし、今回のセミナーに参加して「年越し派遣村」の200人を超える集団保護受給こそ本来の生活保護申請のあり方だと改めて思った。記念講演をされた宇都宮健児弁護士はそのことをはっきりおっしゃっていたし、「年越し派遣村」は連日テレビに取り上げられ国民の前に可視化し派遣切りは社会問題となった。だから国民世論の前に千代田区としても生活保護を受けざるを得なかったのだろう。これは運動の勝利だ。
しかし・・・、職場を取り上げられたことで即、生活保護とはどういうことだろう。生活保護とは最後の最後の砦のはずだ。ここに今の働き方、働かせられ方、労働者の非人間的扱いがあらわれている。派遣労働者は会社にあてがわれた寮に住み首切りは即住居を取り上げられることに直結していた。貯蓄もなく雇用保険もない人は、ストレートに生活保護しか生きていく手段がない。こんなことってあるだろうか!これが今の日本の現実なのだ!田原総一郎氏が「ルールある資本主義を」と言ったそうだ。どこかの政党が言い続けてきたフレーズと同じだな・・・(笑)
残念ながらこれはまだ始りに過ぎない。事態は今後ますます悪くなるだろう。ザルで水をすくうような繰り返しかもしれないけれど、頑張るしかない。そして知恵ある人間は政治の力で生活を改善できるはず。おおもとから!おおもとから政治を変える!そのことが大切!
食べられる機を失ったサツマイモは水を与えられ葉を四方八方に広げ鑑賞用にされましたとさ。
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