9月の13、14と私の住む荒巻では祭礼がある。昨年の10月29日に越してきて、この祭礼は初めて。今から楽しみにしている。その祭礼を前に町内をきれいにしておきましょうということで、今日は一斉の清掃があった。家の前の側溝のフタ周辺にたまった枯葉だとか土だとかをミニ熊手でかっぽじったり、玄関横の草なども、もうミニトマトは終わりなので、引っこ抜いて少しはすっきりさせた。
掃除はあんまり好きじゃない・・・っていうか、どちらかと言うと嫌い。理由を聞かれたら「クリエイティブな行為じゃないから」ということにしている。同様の理由で“片付け”なるものの全域が苦手。まっ、「美の創出」とか「精神的な爽快感で気分転換を」とかいろいろ取って付けたような都合のいいスローガンはあるけど、要するにメンドーなんだな、これが。
それはさておき、ご近所さんがみんな出てきて、一様にあいさつなどして、めいめいがお掃除をしたわけだけど、ちょっと不思議な思いがした。不思議な思いを感じる私の方がたぶん、ヘンなんだろうけど、ここでまた私は“そもそも”を掘り下げてみたりする。町内って何だろう・・・?てな具合に。
米海軍がベースの外に住んでることで、家庭ゴミやら、治安のことやらが問題になった。昨年の3定でも取り上げて市長と本会議で質疑を交わした。そのさいに私は米海軍が町内会ともコミュニケーションをとっていくというようなことを言ったということを引用した。その時にはそれほど考えもしなかったが、地域コミュニティー、その結束というのは日本の独特の文化なのかな?ってことだ。
おらが町内という時に一番その結束を強めるのがお祭りだと思う。儀式、セレモニーは住む人々に強烈に郷土愛を育ませる。このへんのことは無知なので材料がなく展開できないが、深めると面白い分野だと思う。
頭の中がシンプルで合理的なものを好む私は“祭礼”の意味だとかこの前参加させていただいた“慰霊法要”だとかも本当のところどう解釈したらいいのかよくわからないところがある。荒巻のお稲荷さんの落成式にも、実際おっかなびっくり出席した・・・・。(ごめんなさい)
昔からそうだからとか、皆がやってきたからですんなりいかないところが、どうも私の中にはあるようで、これは今後の人生の課題でもある。
ともあれ、荒巻の祭礼はとても素晴らしいときいているので、今から楽しみだ。人々のパッションが激しく放たれる。それがシンボライズされるのが祭りだと思う。まっ、ノーガキはいいや。実際に見てみよっと。
画像はウチの家族の一員。草ガメの「アーノルド」。世間で何が起ころうと、横須賀がどうなろうと、我関せず。とぼけたお顔が笑いを誘う。
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