今日は浦賀の観光協会の総会があり参加した。市議会議員は“顧問”ってことに なっている。顧問って柄でもないけれどできるだけ浦賀の集まりには参加をしてまちづくりに微力でも貢献できればと思っている。
会員さんのお1人がとてもエキサイティングな発言をされた。ペリーが来た際に黒船が4艘、鴨居にイカリを下ろしたというのだ。かもめ団地は埋め立てて造られたので当時はもちろんない。今の脇方や鳥ケ崎あたりらしい。会員さんはそのあたりに何か記念碑のようなものをこしらえたらどうかというようなことを発言されていた。
フムフム・・・してみるとかもめ団地の棟群のあたりに黒船が停泊したのかぁ。私は11年住んでいたけどそんなこと考えてもみなかった!聞いていてワクワクしちゃったなぁ。
臨時議会の中で私は1950年の軍転法の頃の横須賀の人々の思いを今に引き継い でいこう的な討論を行った。自分の口から出たその言葉について、もっと深めてみようと思い、画像にある本を今、読んでいる。
しかし、今日の浦賀の観光協会での内容はそれより100年遡った横須賀の姿だ。
話があっちこっち行くのだが、この前、一九会(1期目の議員の会)で懇親を行った際に横須賀もマカオのようなエンターテイメントの施設をつくって外からお客さんをワンサか呼びたい・・・そんな話が出た。財政が厳しいという中で横須賀は今のままではまずい・・・という認識は主義主張、会派・党派を超えて一致している。そこで、「じゃ、ベースなんかいいんじゃないの・・」という意見が出た。(私が言ったんじゃないよー。少し同意はしたけどさ。)つまり、アメリカさんにはお帰り願って今度は一大エンターテイメントの基地にしよってことなんだ。
横須賀の未来を考える際に、やはり米軍基地がこのままってのはいただけない・・・そんな思いがするからねー。
まちづくりと言った時に、今日、浦賀の観光協会で出されたみたいなアイデアのようなものも大切さけど、「基地のまち」ってイメージを払拭させるようなドでかい出来事も必要じゃないかなっと思う。この100年は日米の軍都としての歴史だけど、その前の100年は違うわけだし、これからの100年だっていくらでも変化はありってことだ。
長い年月の中で培われてきたものを、変えていくというのはものすごく大変なことだけど、不可能ではないと思うんだ。
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