昨日は友達が3人ウチへきて今進めているプロジェクトの内容を煮詰めていった。実はこの3人の友達はみんな統合失調症なんだ。かなり大変な時もあったけど、みんな今は落ち着いている。私はこの3人と会っておしゃべりするのをとても大切にしている。
本題から時々脱線して「ねぇ、あなたたちは「精神障害者」って言われることに違和感はないの?つまり、呼び方っていうか、くくり方なんだけど、当事者はどう思ってるわけ?」そんなことを率直に聞いてみたりする。それとか「そもそも障害者ってなんなの?どこからボーダーラインひけるわけ?私なんか眼鏡かけてるけど障害者とはいわないでしょ、でも同じように日常的に必要な車椅子に乗ってるひとは障害者って言うよね?どこが違うわけ?」などなど。
こういう疑問や掘り下げは究極的には“人間とは何か”っていうような大疑問に収斂されていくんだと思う。つまり私が政治に惹かれるそのおおもとのコアな部分がこれなんだと思ってる。断片的な怒りや不満を俯瞰的に見て取って、その中の仕組みに目を向け能動的にそれへの変革主体として関わる。これが大切って思ってる。
短時間に良い製品をたくさん創り上げる、効率や能率を重視し利潤をあげる・・・・この資本主義社会において障害者は皆「お荷物」だ。だからこそ存在そのものが革命的だと思う。“人間とは何か”ってことをいつも喚起し考えさせてくれる。
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おまけの画像
黒いウサギさん、いつも支部会議の時終わりまで静かに自転車のカゴの中でご主人さまを待ってる。シロツメクサの首飾りをあげても帰る頃には全部食べちゃう。
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