吉田市長の答弁を聞いていると、率直に言って、いつも不思議な感覚に陥る。
この人の真意は何なんだろう?と思う。
昨日の代表質問のやりとりを聞いていても、「だから何なんだ?」というヵ所がいくつもあった。
一番顕著なのが、日米安保や基地、原子力空母に対する認識だ。
吉田市長はこんなふうに言う。
要約・・・「日米安保50年、あらゆる事態に対して、日本が独力で対応するのは無理、基本的な価値観を共有する米国と同盟を組むのは必要。日米安保体制に対して認識を新たにした。この体制を政府や国民が選択してきた。経済、社会がグローバル化している現在、積極的に取り組むことが必要であると認識している。」
そして、質問者が認識を改めた理由は?とただすと
要約・・・「この間、関係者と意見交換をしてきた。バーレーンに後方支援に行った方、海賊対策にかかわった方などと。陸海空の状況など。横須賀の首長として責任を痛感するようになった。」
聞き取って書き取っているので、かなり粗い要約になっている。詳しくは後日出てくるネット中継録画と議事録で確認が必要なのだが、大よそ、上記のようなことを市長は答弁した。
今回の答弁、また施政方針の中の文言から、
吉田市長の認識の質が変わったな・・・と感じた。
・・・新たにした・・・積極的…責任を痛感という言葉の中には
今までモヤモヤした気体だったものの中に小さなかたまりが浮遊しているような感がある。
私は、世の中にはいろいろな考え方があって良いのだし、それを表明するのも自由だと思っている。
安保賛成。原子力空母賛成。そういう人もいていい。
しかし、それをはっきりさせない人もいる。
吉田市長はその部類だ。
モヤモヤ気体の中に小さなかたまり・・・やっとそんな程度。
市長の中にはおそらく、、日米同盟とか安保がいったいどれほどのものなのかということがよく分かってないのではないか。と私は思う。
だから、良いも悪いも言えないのだ。
「現実のものとして捉える」この言い回しに終始する。
目の前に存在するものとして受け止める・・・そんなことは市民なら誰だってそう思ってる。
目の前に存在する、そのものへの自分の見解こそ大事なのではないか。
それが、今もってはっきりしないというのは、
「分かってないこと」が分かってないのだ。
何やら難解めいた哲学問答みたいだけど、
これが真実ではないかしら・・・・。
「日米安保ねぇ。実のところよく分からないんですよ。この間ね、後方支援の皆様と会ってお話する機会がありまして、その方たちのお話を聞いて、改めて横須賀というところの位置が重要であると認識させられたしだいでして、やっと責任を痛感したところなんですよ。」
こう言ってくれればわかるのに。
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