今年2008年の4月17日に自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件の判決が出た。
その原告代表の池住義憲さんが横須賀へ講演に来るということで、いさんで出かけて行った。「画期的」と言われるこの判決の意義の真髄に触れたいとの思いから行かずにはいられないと思っていた。
イラク戦争は2003年3月20日に始まる。1度目の落選した市議選は2003年の4月に告示だったので、私はちょうどこの頃このイラク戦争に反対する演説を駅頭、街頭でかなり行った。時の首相、小泉氏はどの国よりも先んじてイラク戦争支持のスタンスを表明した。(恥知らず!)そんなことで、行くなよ、行くなよ、自衛隊、絶対イラクに行っちゃダメだ!と思っていたのに、自衛隊はとうとうイラクへ行ってしまった。国会でも「バグダッドは戦闘地域ではない」とか「後方支援だからいいのだ」とか屁理屈が飛び交い国民を欺いていた。
そのような中、池住さんはこの裁判を起こしていた。原告団は全国に3268名。多くの人々がこの勇気ある訴訟に共感し協力した。原告団の中には自衛隊の家族もいたよう。そりゃそうだよ、命の危険があるんだもん、一番反対したいでしょ・・・と思った。
4年以上にわたって行われた裁判で池住さんたち原告団は200を超える証 拠を提出したという。イラクやアンマンへ直接行き現地の声も聞きリアルに詳細に証拠を出した。しかし、国からは1つも出てこなかったという。資料開示請求しても画像のように大事な部分は墨塗り状態だった。(これをコピーすると)「トナーがすぐになくなっちゃうんですよ。」と池住さんは冗談交じりに語っていた。
池住さんはこの裁判をたたかう上で①平和的生存権の問題。②侵略の加担者は精神的苦痛である。この2つを柱にした。これはとてもユニークかつ哲学的で高次な人間的要求だと思う。
私たちは、つまり日本共産党だけど、綱領の中で、戦争はダメだよ!ゼッタイダメよと言っている。それは戦争が一部の大企業の利益に基づき行われ罪のない弱い人々が殺されるからというのがオオスジなのだが、戦争というものが生命の問題・・・肉体的と言う意味にとどまらないというのが、どうもこの池住みさんの言わんとするところではないのかと思うのだ。後期高齢者医療制度は廃止!とか消費税の増税は許さないぞ!とかもっとお産できる病院を増やせ!とか、それぞれに切実な問題で今すぐ取り組むことなんだけれども、それもこれも平和であることが大前提となっている。それを漢字6文字で「平和的生存権」と言う。言葉でいうのはたやすいが、すごく大事な考え方だ。池住さんは「今、日本は戦中ですよ。」という。なぜかと言うと、イラクに自衛隊が行って戦争をやっているからだという。私はそれを聞いて自分の認識の甘さを恥じた。そうかぁ・・・そうなんだ。2003年春から夏。自衛隊イラクへ行くなと、あんなに街頭で熱く訴えていたのに。
「平和的生存権」は憲法の前文の後半にその内容が込められている。格調高いこの文章が私は好きだ。とくに日本国民に平和を全世界に広めるリーダーになりなさいよと言ってる。そこがすてきだ。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
自衛隊のイラク派兵は憲法違反であるという判決が出たことは政府のアメリカ追随の政策そのものを否定することであり、そもそも自衛隊って海外で活動していいわけ?ということを国民に広く知らせることであり、憲法の存在意義を考える契機にもなり、いろんな点で画期的なのだ。池住さんは今回の判決を「平和のための武器」として活用することがこれから必要と言っている。私もこの判決文を熟読玩味し日々の活動の武器にしていく。
コメント