あーダルい・・・なんか陽気がヘンね。夏日を超えたかと思うと、雨が降ってジトジトして涼しかったり。もう、九州は梅雨に入ったそうだから関東地方ももうすぐかぁ。
最近は過食症気味。いくら食べてもまだ食べたい。しかも、白いご飯がすすむ、すすむ。胃腸にはだいぶ負担をかけているだろなー。すまん。
昨年の健診の際にメタボはギリギリセーフだったけど、今じゃ、たぶん、ひっかかるかも。
人類の長い歴史の中で、こんな飽食の時代はなかったんだって。遺伝子もびっくらこいてるね。
さて、ダベリングはこのくらいにして、昨日のことを少し書いておこう。
昨日は「浦賀国際文化村推進協議会」の総会があり参加した。その中で、①西浦賀の緑地護岸築造と②東浦賀のボートパーク桟橋築造、③住友重機提案の仮設的公園について説明があった。
この「浦賀国際文化村推進協議会」は平成元年からスタートしているというからかれこれ20年になる。活力と魅力ある浦賀のまちづくりを推し進めてきている。ミュージアムパーク構想や、水辺プロムナード構想など市の事業への提案や住友重機内のレンガドック活用イベントの支援などもおこなってきたとのことだ
しかし、20年の歳月の間には様子がずいぶん変わってきた。当初住重の工場稼働とともに浦賀発展のビジョンを描いていたが、住重は2003年(平成15年)3月15日浦賀工場を閉鎖してしまった。その後、跡地がどうなるのかということに焦点がシフトした。親水性ある公園や憩いの場、市外からの集客を見込める魅力ある空間、そんなものを浦賀のまちの人々は待ち望んだ。私も5年前の選挙ではそのことを大いに訴えた。予算要望で市長に会う際にはうるさいぐらいに「住友に無償、もしくは安価で市に土地を譲るよう交渉してほしい」「浦賀のまちの活用を真剣に考えてほしい」そう言い続けてきた。
そして工場を閉鎖して4年8か月たった昨年の12月、住重は市長に「土地の処分を急ぐ必要のない情勢となった。レンガドックの開放は今までどおりだが、その他の事業については先延ばししたい」そのように言ってきたという。
これは地元にとっては衝撃である。なかにはカンカンに怒って住重に罵声を浴びせる人もいる。
浦賀のまちづくりという点で、桎梏になっているのは横須賀市の財政と言う点が非常に大きいと思うが、この浦賀のメインの場所が民有地、もっといえば私有財産であるという点さらにしつこく言うなら大企業の土地ということがすごく大きい。歯がゆさの最大の原因はこれだと思う。
今回、住重は③の提案をしてきた。場所は浦賀生協を久里浜方面に少し行ったあたりの浦賀文化センターにあがる道路と反対側のカーブのフェンスの中の土地だ。ここを網錠で透過性がありドックや海が見えるネットフェンスにしセットバックして、歩道部分を2,5メートル程に広げるという。約3000㎡の面積を公園として開放し自由に申込で使用させてくれるという。
大変いいことだなー
でも、これって、「これでとりあえず許して」って意味かな・・・意地悪な私はそう見てしまう。
浦賀のまちづくりは前途多難。歴史も地理も格別なものを持ち合わせているのに、なかなかうまくすすまん。昨日の総会でも少し強い調子で発言された方がいたが、私も同感だった。
どうにかしていきたい。浦賀のまちのこと。地元の方々と。
画像は歩道の咸臨丸プレート。浦賀の街並みにはところどころに、こういう歴史を感じるものがちりばめられている。
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