ものが二重に見える数日間を過ごした際、さすがに車の運転は出来なかったので、何度か電車を利用した。市役所からの帰り道、乗る際に気が付けばよかったのに三崎方面の電車に乗ってしまい堀の内でも気が付かずそのまま乗り続け、車内アナウンスで「北久里浜」というから一人で「ウッソー」と思ったことがあった。
電車なんかキライだー。
電車の込み具合をあらわす言葉に「鮨詰め」がある。井上陽水の「氷の世界」という曲の歌詞にも出てくる。高校の3年間は京成電鉄を利用していたが朝はまさに鮨詰めだった。3年間ですっかりこの状況になれた。3年生の頃には閉まる扉を開けて入り込む技も習得した。そしてあんなに混み混みだった車内も右へ左へ揺れるうちに特急なら次の駅くらいには隣の人との隙間も少しできて本を開くスペースくらいはできたから不思議だ。電車は車体を揺することで隙間をつくりまた新たなお客を飲み込む。
そんな回想はさておき、私が今日書きたいことは、車内の痴漢について。この間のニュースで幾つか流れていた。1つは無実の人を痴漢にでっち上げて金をとろうとした男女が捕まったこと。もう1つは元教頭だった人の痴漢裁判に有罪が出て、この人は即控訴したのだけれど、そんな裁判が今あるということ。後者の方は周防正行監督も支援しているようでテレビにも出ていた。周防監督の「それでも僕はやってない」という映画はもしかしたら、この事件をモチーフに作られたのかなと思った。
この「それでも僕はやってない」は最近テレビでオンエアーされたので観た方も多いだろう。私も録画して観た。警察や裁判所を鋭く批判した内容に仕上がっていて、周防監督がかなり怒っているということをひしひしと感じた。軽妙なタッチで描かれているのでそれほど重さや暗さを感じない。しかしこれは大きなメッセージ性のある映画だと思った。映画というのは多かれ少なかれやっぱり反体制的にならざるを得ないそういう宿命なんだってことがまたもやよくわかった。反体制的っていうのは政治という狭い枠だけでなくて、現状のマジョリティーに矛盾を喚起させるっていう意味。一石を投じるのが、それは緩やかにであったり、激しくであったりするのはいろいろだけど・・・そういうものじゃないかなって思った。
鮨詰め状態の電車とうのは女性にとっても男性にとってもいやなものだ。高校生の頃はおじさんのデカイ背広背中が目の前にドーンとあって閉口したり、OLお姉さんのハイヒールで靴を踏まれて痛い目にあったりもう最悪だった。こんな人口密度を朝から体験する国民は世界広しと言えどもこの日本くらいじゃないか・・・・。これこそが考えてみれば異常の極みだ。
女権拡張が進んでささいなことでもセクハラとなる時代になった。だからと言ってなくなるかというとそう簡単ではない。逆手にとってつけいる輩も出てきた。
なんか、すごく世知辛い。もっとのびのび生きたい気がする。
ある日のウチのおかず。
かつおのたたきのサラダ
イタリアンドレッシングがすごく合うよ。
かつおは味が強いからドレッシングもパンチのあるのが合うのねっ。
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