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2008年3 月20日 (木)

コメント

 stani63さん、とても難しい問題ですね。自分自身がアルツハイマーになった場合、そして家族がアルツハイマーになった場合、状況は違うと思います。
 「安楽死」や「尊厳死」については昔から興味をもって考えてきました。森鴎外の「高瀬舟」手塚治虫の「ブラックジャック」に出てくるドクターキリコ、映画では「半落ち」など。精神病関係ですと「レインマン」が思い出されます。
 アルツハイマーに限らず、「臓器移植」や「献体」なども含めて普段から家族間で自分はどうしたいのか、家族にはどうしてほしいのかよく話し合って合意しておくのが理想だと思います。
 思考や記憶のしっかりした人間、ものごとを認識できる人間こそが苦しみを感じるわけですから、アルツハイマーの人ではなく周りの人が大変な思いをするわけです。それでも、生きていてくれるだけでもいいと思う家族もいるでしょうし、簡単に決められることではないでしょう。お金もかかる、精神的にも追い込まれるそんな思いが出てくるかもしれません。人間とは何なのか?生きるとは何なのか?死とは何なのか?そんなことを突きつけられます。
 ただ、その人の存在というのは誰かの記憶に残るので、未来を生きる人に何らかの影響を及ぼすということが言えると思います。その人らしい生き方あるいは死に方が後世の人々に好影響を与えられればいいと思います。納得して生きて死ぬ。できるだけその努力はしたほうがよいと思います。人間の歴史は良かれ悪しかれ継承されるのでそこへの責任は何人も免れないと思うのです。
 
 

今日テレビでアルツハイマーに関して2時間放映がありましたが、大村さんにこんな質問を投げかけるのは見等違いかとは思うのですが、以下、いかが思いますか。
アルツハイマーなり、ピック症候は人格が欠如してしまうわけですから、人間ではなく(実態は人間ですが)感情と本能に左右される動物化してしまうわけですから、安楽死を認めてもいいと思うのですが、いかがなものでしょうか。
幸か不幸か日本には、特老も少ないことですし、また政府も老人問題に熱心ではありませんし、人間的でなくなってしまった人に、安楽死の道を、その面倒をみている家族に与えると言うことは、非人道的な考え方でしょうか。生まれたその当人に自覚がなくても生まれてしまった以上、人間である以上生活をしていく権利があるならば、ボケてしまったなら、そもそも人間らしく生きていけてない(理性の欠如、判断力の欠如、記憶の欠如)のですから、本人に自覚がなくてもそのめんどうをみている家族に安楽死を選ぶ選択肢があってもしかるべきではないかと思うのですがいかがでしょうか。

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