今日は2008年の2月24日。市会議員になってそろそろ10ヶ月。明日は民生常任委員会で補正予算等についての議案の審議が行われる。否、行われるじゃなくて、行う・・・だ。
どの時点でもめーいっぱい頑張ろうと思っているのだけど、時々、何事も先人がいて今の私(たち)があるんだってことを考えると、気負い加減やら、奢りやらを直視して恥ずかしくなったりする。
昨日は深夜まで団会議で議案の審議と代表質問の内容練り上げをやった。現在の日本共産党市議団は5人で形成されている。そのひとり、根岸峰夫元市会議員は1を聴いて10を知る人と同時に10の知識を持ちながら1を語る人でもある。その膨大な知識と経験、ものごとを語る背景や経緯、奥行き感にはいつも驚かされる。その根岸峰夫さんの後ろには小松たかよし元市会議員がいる。もう亡くなられ直接親しくお付き合いもなかったが、活動地域だったところを私が歩くと今でも、多くの方々から小松さんの功績が語られる。そしてその小松たかよしさんの後ろには菊地由次(きくち・よしじ)さんがいる。
先週の日曜日はねぎしかずこ議員のうわまちの事務所がオープンして、お祝いに行ったのだけど、その時に80代のNさんが菊地さんのお話をしてくれた。菊地由次ってどんな人だろう?前々から興味があった。そして画像のパンフレット「こんりんざいだまされないぞ」を読むことができた。
菊地さんは学生の頃から党活動をしていたので、警察に目をつけられ何度か投獄され、敗戦は獄中でむかえている。小林多喜二の死を知り駆けつけ、多喜二の屍体の点検も行ったそうだ。そして1963年、横須賀市議会議員に初当選しその後3期勤めている。Nさんは、菊地さんは普通の議員の15人分の働きをするんだ。と言っていた。とお話してくれた。たったひとりの共産党議員はさぞかし忙しかっただろうと思う。そしてねぎしかずこ議員も「こうしてうわまちの商店街の目立つところに共産党の議員が事務所を持つということは、昔じゃ考えられないこと」と言っていた。菊地さんが知ったら本当に喜んでくれることだろう。
横須賀はね、海軍さんの街、そして今はベースがあってアメリカさんでもっている。基地の歴史があるからね・・・・。そう言う方がいるけれど、歴史はこっちにだってあるんだよ!私は大いに言いたい。脈々たるたたかいの歴史。基地のまちの平和運動の歴史。そういう歴史のせめぎあいの中に、今あるってこと。築き上げられてきたその土台に立って今度は私が新たなものを築き上げていくんだ・・・・。菊地さんのパンフを読んでそう気づかされた
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