昨日の映画、「日本の青空」がまだ頭の中に余韻を残していて、もっともっと考えたいよーという気分なので、心に従いもう少し考えてみます。
時々、人間の歴史の最高段階ってどんなだろ?って考えます。火を獲得して獲物をあぶったり、獣を威嚇したり、そんな時代から脈々と今に至るまで、ホモ・サピエンス・サピエンスの最高段階、これから人類はどんなふうになっていくのだろ?と。寒さと暑さ、恐怖と空腹を乗り越えて、今の時代は便利さ手軽さ、労力を使わず達成できるそんなふうに移り変わってきました。地球上には地域格差がまだまだあるので、一概には言えないけれど、先進国と言われる国々においては大よそ、テクノロジーを享受した生活様式になっていると思います。
雨露をしのぎ、空腹を克服し、疫病などを撲滅し、社会のしくみを構築して、いろいろなものを整えた最後、最後に人類が獲得し得るもの、それは人権意識じゃないかなぁと思います。それと地球環境保護の精神。どちらも狭い個人主義では突破できない、類的観点こそ必要な問題だと思います。
「日本の青空」の中に、「女が参政権をもったら、戦争はなくなる」というような主旨のセリフが出てきました。このセリフを聞いたときに、そうかぁ、支配者というには被支配者を分断しているのだから、被支配者の中でもより差別されている者が主体的に意見を持つことを最も恐れるのだなぁと改めて感じました。支配者というのは直感的にそのあたりは鋭く感づいていて、だからこそ、女性や経済的貧者に参政権を与えなかったのだろうと思います。憲法の中にもうたわれている、生まれながらにして全ての人は平等というこの概念は考えてみれば物凄いことです。原始共産制社会は別にしても、その後の奴隷制から始まる近現代史にいたるまでの人類史は差別や階級、階層、使う者と使われる者の歴史でした。その歴史観をひっくり返すほどのインパクトが人権の概念です。
残念ながら、憲法にうたわれているけれども、実際にはまだまだですね。本当に人権が花開く世界は、残念ながら資本主義社会では無理だと私は思います。なぜなら、競争と効率をその両輪にして進む資本主義社会の価値観は短時間に効率よく成果をだす者が素晴らしいという価値観だからです。障害をもった人ははじかれ、高齢者は既に用なしと思われ、女性は素晴らしいとされる者を支える存在になるよう教育されます。自分が自分であることを伸び伸びと表現できない、そんな社会です。近年の人権意識の高揚はこのまま行けば必ずや、矛盾が起こってきます、いや、もう起きているのかもしれません。
それから、競争と効率のもうけ第一主義よりもっと悪いのが戦争です。戦争は、もろに、障害をもった人、高齢者、女性をはじきます。戦力になりませんから。
小学校の頃には、そんな社会の雰囲気を察知して、「男に生まれたかったなぁ」私はずっと思ってました。なんか損した気分。男のほうがずっと面白そうだ、そう感じました。今でこそ、議員になり、自分の主義主張をはっきり言う立場になりましたけど、ずいぶんと頭にくることもたくさんありました。そうそう、しょこたんがブログで怒りまくりました。わかるなーその感情!と思いました。彼女、痴漢に遭遇したもよう。http://yaplog.jp/strawberry2/daily/200710/12/
憲法は、完璧ではなくて、実は私は天皇が一番目にきてることが気に入らないのですが、それは「日本の青空」の中でもそうなった経緯などもありましたけど、本当に人々の中に根付くのは時間がかかるのだと思います。指針は実践してこそ価値がありますからね。口先ではなくて、心底誰もが人間として同等であるという社会を目指していくこと大切です。地球環境のことはまた書きたいと思います。
なんか、流れに一貫性がなかったけど、今日はこれで終わり。
good night.
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