昨日、原子力空母の危険性を鮮明にする首都圏シンポジウムが、横浜の関内ホールで開催された。残念ながら、私は足の痺れがひどくて泣く泣く参加を断念した。
米軍は早々、来年2008年8月19日横須賀配備と打ち出してきた。“もう1回、今度はもっとたくさんの署名を集めようじゃないか!”ということで、来冬には住民投票条例制定の直接署名の“リベンジ”計画が浮上しつつある。
原子力空母・・・なぜ反対か?
もう1度よく自分の中で咀嚼ー反芻したい。
危険性についてはもう、いろいろな角度から語られてきて、まったくその通りだと思う。しかし、この危険性について蒲谷市長も、この前10回の説明会を開催した企画調整部・基地対策課もタテマエ上は“危険ではない”の一点張りで平行線なのだ。黒いものを白いと言い張るそのやり方、私は犯罪的だと思う。原子力空母受け入れに賛同している全ての人よ、自分の胸に手を当てて、冷静に穏やかに考えてほしい。10年後、30年後、50年度、孫やひ孫の時代になってさえ、恐ろしい原子力空母と隣り合わせの生活を強いられる横須賀を!日米安保によって日本はアメリカに守られているのだから、少しは我慢も必要なんだ、仕方がないじゃないか・・・などとのん気に言っていていいのか?来年原子力空母を受け入れれば、それは間違いなく歴史の汚点となるだろう。後世の人々に2008年の横須賀市民は何してた?と言われるのだ。私はそんなことを考えると、居ても立ってもいられない。
画像は原子力空母ジョージ・ワシントン下記の方より拝借。http://www.rimpeace.or.jp/jrp/umi/yokosuka/0601chihiro4.html
一昨年あたりから、駅頭に立ち、原子力空母のことは様々演説してきた。その多くは危険性についてだった。それが直接市民の皆さんに伝わりやすいだろうということで、そうしてきた。しかし、私自身の中では、危険性もさることながら、通常艦も原空もあるいはその他もろもろのブッソウな船も何のために、横須賀にいるのか?あるいあは、配備されようとしているのか?が一番の問題だと思っている。
なぜ、日本の中にアメリカの基地があるのに、アメリカの中には日本の基地がないんだ?
相反する日米安保と憲法九条のコアの問題だ。
同盟国といいながら、実態はアメリカへの従属である。アメリカは全世界規模で米軍の基地再編強化を行っている。巨人がアリを踏みしだくようなアメリカの戦争策動。アメリカと言う国は過去、数十年間、常に戦中だった。世界のどこかに戦争を仕掛けては兵隊を送り込み、現地で民間人もろとも殺戮を繰り返してきた。戦争をしなければ国が維持できないような構造に既になっていて、これに日本も組み込まれている。
時間がなくなってきたので、つづきはまた。
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