議員になると視察っていうのがあるのかぁ・・・・。漠然と参加したというのが偽らざる思いです。5月に議員になって民生常任委員会に入り、秋の視察はどこを希望するか提出してくださいと言われました。・・・って言われてもなぁ・・・。問題意識があるから人間は行動するんであって、最初に視察ありきで必ず行くと決め付けられてもなぁ・・・。
実は、共産党市議団でも6月12日に厚木市へ給食施設を視察に行きました。この時には明確に問題意識があってその問題意識に突き動かされて視察へ行ったのです。その時の模様→http://geocities.yahoo.co.jp/gl/yohkoyokosuka/view/20070612
視察終了後にこんなこと言うのも不謹慎かもしれませんけど、今回の視察は私にとっては本末転倒だった気がします。問題意識を明確に出来なかった自分が情けないです。希望の視察場所を提出することもせず(というかできず)受動的に参加した感がありました。
視察を全否定しているわけではありません。実際に現地へ行き、見る、聴く、体感するということは私の活動のスタンスと一致することであり重要なことだと思っています。視察という行為は常に自分のとことと比較してどうか?というスコープを通しています。悪い方へ視察しに行くわけはないので、したがって横須賀市が遅れている、劣勢だとなります。そうすると、なぜ遅れているんだ?なぜできないんだ?同じようにするためには何が必要なんだ?と思考が流れていきます。視察ってそういうことなんだろうなって思います。しかし、いかんせん、問題意識があなぁ・・・・。
議会活動における視察の位置というものは今後大いに議論すべきと思います。必要な視察は行くべきだし、行かなければならないと思います。しかし不必要な視察はやめるべきと思います。横須賀市議会は7,8年前に海外視察をやめています。海外視察は多分に物見遊山的な側面が多いと思います。しかし、先日の「夢喰虫」さんの野島祥子さんとお話した中身のスウェーデンの先進的実態などを知るにつけ、実際に行って当事者の方々のお話を聴いてみたいものだと率直に問題意識を鼓舞されます。(10月20日のブログ)つまり、国内だからいいが、海外はダメだというそういう線引きも本来の意味からすればおかしいと思います。ただ、ご時勢はやはり考慮しなければなりません。市民の暮らしが厳しい時に、海外視察というのはいただけません。
極端な言い方をすれば、市政に物申す議員としては視察でダイナミックにインスパイアされてその原動力でどんどん発言していく、そのくらいでなけりゃいけないんだと思います。自治体の職員はその道のプロであり、議員なんかよりもずっとずっと現場をよくわかっています。議員に必要なのは、既成の考えに縛られることなく自由に提案や批判ができるそういう力だと思います。
ま、視察のあり方については今後もじっくりと考えていきたいと思います。
正直言って、市民からの税金で視察へ行くということで、そうとう緊張しました。公務ですから、ねばならない的な義務感がかなりありました。
とは言っても、行ったら行ったなりに勉強になったのも事実です。10月19日に原子力発電賛美の講演について批判的に書きましたが→http://yokoyokosuka.typepad.jp/blog/2007/10/post_37ee.htmlその後、図書館で原発の本なども借りてエネルギー問題、環境問題に火がつきました。そんな状態でエコタウンやESCO事業を視察できたのは巡りあわせの妙というか、とてもラッキーでした。(原子力賛美のおじさんの講演も役に立ったのです!失礼!)
同行して段取りよく動いてくださった、議会事務局のIさんとNさんお世話になりました。ありがとうございました。行った先々のスタッフの皆々様、お世話になりました。ありがとうございました。道中、楽しく優しくお付き合いしてくださった議員の方々お世話になりました。ありがとうございました。
追伸:車中から見た九州のセイタカアワダチソウは、みんな背が低かった・・・・。それが不思議で印象に残ったので・・・・。
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