6月8日から第2回定例会がはじまっている。
今回の一般質問は13人。
日本共産党も3人が行った。
井坂しんや議員は①防災対策の強化について②原子力軍艦の安全対策について③みどりの保全について
ねぎしかずこ議員は①放射能から住民を守ることについて②原発から撤退を展望した自然エネルギーへの転換について③深夜、酒気を帯びた米兵による犯罪が絶えないことについて
大村洋子は①海岸の管理について②障害者の就労支援について
以下で録画中継を見ることができるので、ぜひどうぞ。
http://www.gikaitv.net/dvl-yokosuka/2.html
7月15日(金)、22日(金)に横須賀市議会が議会報告会を行う。そのため、今日は埼玉県所沢市議会の議会報告会の視察へ行ってきた。
画像も撮ったので、アップしようと思ったのに、なんだかブログの調子が悪いので、また明日チャレンジする。
おやすみなさい。
投稿情報: 23:50 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
私が小学校の6年間を過ごしたのは、東京都江戸川区にある船堀第2小学校。
今、記憶をたどって、校庭にあった遊具を思い出してみて、
それが使えない状態になっていたという映像は・・・思い出せない。
校庭には大きなカラフルなタイヤが縦になって半分埋まっている遊具があって、
それがちょっと潰れかかってぐにゃっとした感じはよみがえったけど、
使えなくてつまんない思いはしてないと思う。
私は意外にも運動神経は良いほうで、登り棒なんかは得意中の得意で、
いつもてっぺんまでよじ登って、横のバーに座ってふんぞり~てな気分になっていた。
*****
「校庭の遊具がしばらく使えない状態で、子どもたちが遊ばないようロープを
施している。なんとかならないか。」というご意見をいただいた。
教育委員会の学校管理課へ行って、いろいろ聞き取りをした。
学校現場から寄せられた遊具や設備などの状況の調査を市は外注しているという。
AからDまでのランクづけをして、修繕、撤去、取り替えなどの優先度を決めている。
おおよそAとBは使用可で、CとDは使用不可。
指摘を受けた学校の遊具はランクDだった。
つまり最悪で使用不可だ。
驚いたことに、ほとんど全ての学校から修繕や撤去の要望が出ていて、
全てをいっぺんに対応するのは財政上無理なので、お金がつくのを待っているところがたくさんあるとのことだった。
冒頭、自分の小学校の時のことを書いたけれど、
私が小学校時代というのは、1970年代で、その頃はまだ学校関係に潤沢に予算が付けられたのかもしれない。
そう考えると、子どもたちに我慢を強いなければならない、今の時代というのは、なんとも切ない気がする。
一方、教室へのエアコンの設置は前倒しで、今年度すべての学校に行うことが予定されている。
コチラは、お金の出所が違って、再編交付金の活用となっている。
原子力空母を受け入れた横須賀の苦労を労って国からのゴホウビってわけだ。
教室にエアコンは賛成だけど、再編交付金でというのは、チト複雑な気分だ。
もっとも、こちらは残念ながら、このたびの東日本大震災の関係で、エアコンを受注した企業が厳しい状況らしい。今年度中の完了は難しいようだ。
いずれにせよ、限られたお金をどこにどう使っていくのか、知恵の絞りどころだと思うけれど、将来の横須賀を神奈川を日本を背負って立つ子どもたちへのお金の配分は特別に考えてほしい。
投稿情報: 20:11 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
選挙が終わり、ゴールデン・ウイークも終わり第2回定例会がはじまろうとする昨今、
相談が多い多い多い。
みなさん、私に遠慮して1か月ほど待っていてくれたのかな。
先週あたりから、急激に様々な相談事が舞い込んできている。
今日は障害福祉課と保健所の職員がご本人の悩み事を
真正面から受け止めて知恵を出してくれた。
その懇談の場に立ち会い、
午後からは、環境管理課の技術職員が騒音問題で、
丁寧に対応してくれご本人の質問の懇談に立ち会った。
電話では教育委員会の職員とも長寿社会課の介護保険の職員とも話した。
なんだか、アッと言う間に時間が過ぎた。
6月8日には本会議で一般質問を行う。
その準備もしなくちゃ。
投稿情報: 20:56 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
2からのつづき。
今回、学習協の安保学習の3講座を受けて、
つくづく感じるのは、日本には憲法があって
本当ならそれをすべての基盤にして社会のしくみが成り立ち進んでいくべきはずなのに、
一方で安保があり、それはよくよく考えてみると、
憲法の理念とは相いれないもので、そんなものが、
よくぞこの日本では「両立」してきたなと思うのだ。
憲法には国際紛争を解決する手段として、陸海空軍その他の戦力は持たないと書いてある!
なのに自衛隊はたくさん武器を持っているし、なにより米軍基地が日本には133か所もある。
日本の地面なのに、日本人が勝手に入れない土地がある。
土地だけではなくて、空域も水域もある。
そして、1980年以降、自衛隊と米軍の共同使用が進められ、今や当時の2倍以上の基地面積になっているという。
ここ数年は安保という言葉が日米同盟なんて言葉にすり替えられてきて、民主党はその日米同盟の“深化”と言うのだから、どこまでお人よしかってことだ。(骨の髄までしゃぶられるよ)
*****
手前味噌になるけれど、
日本共産党の綱領では、
日本の立場を「独立国としての地位を失いアメリカへの事実上の従属国」というふうに規定している。
安保の学習を通して、この綱領の観方がまったく正しいことを実感する。
自分たちの指導者を自分たちで選ぶことができるし、法律だって自分たちでつくり決められる。だから植民地ではないけれど、安保によってもっと巧妙に首根っこを押さえつけられ、見えない鎖でつながれている。日本はアメリカの操り人形になっている。
この関係性を変えない限り、本当の意味での日本の独立はないと思う。
いつもこのことを念頭におきながら、日々の仕事に取り組んでいこう。
だから、横須賀で活動ができるのはとてもやりがいがあるってことだ。
がんばろっと。
投稿情報: 06:30 | 個別ページ | コメント (5) | トラックバック (0)
1からのつづき。
1960年に発効した新安保条約の2条にはこう書いてある。
締約国は、その自由な諸制度を強化することにより、これらの制度の基礎をなす原則の理解を促進することにより、並びに安定及び福祉の条件を助長することによって、平和的かつ友好的な国際関係の一層の発展に貢献する。締約国はその国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国の間の経済的協力を促進する。
さらっと読むと当たり前のように聞こえるけど、私は改めてこれを読んで、唖然とした。
自由な諸制度の強化とはすなわち資本主義のことで、平たく言えば、儲けることを第1に考えるシステムをお互いに確認しあい、ますますそのために頑張りましょうということだ。そして、日本とアメリカは経済政策についてくい違いがあってはならない。くい違いがあればそれを除くことに努力せよということだ。
「年次改革要望書」というものがある。
正式には「日米規制改革および競争政策イニシアティブに基づく要望書」という。
日米間で経済発展のために改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書のことだ。あんたの国のここが困るんだよ、だから直してよという、つまり注文をだすってことだ。1994年からはじまったこの要望書は、アメリカが日本にここまで言うかというくらいのもので、
たとえば、郵政民営化とか、労働者派遣法の「改正」なども元はと言えば、アメリカからの要求で年次改革要望書に入っていた。これには保守の国会議員さえも「内政干渉と思われるくらいきめ細かく米国の要望書として書かれている。」といったくらいだ。
こういうことはほとんど大手の新聞、マスコミには載らない。
そうそう、がん保険でアヒルが出てくるコマーシャルがある。あれだって、もともとはアメリカの会社で、少々お下品な言い方をすれば、不安を煽りに煽って保険に加入させて、荒稼ぎしている。
規制緩和って言うとがんじがらめのギチギチを緩めて、使い勝手を良くするってなイメージだけれども、実は誰かをすごく儲けさせるカラクリってことだ。
それもこれも出どころは、安保の第2条が根拠になっている。
なんて、忌々しいことか!
事実を知ると怒りがわく。 それは健全な怒りだと思うけど、 ストレスもたまるんだ。 そういう時は、スカッと遊ぶことも大切。 久しぶりのボーリングはエキサイティング。 安保のつづきはまた明日。
投稿情報: 22:28 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
このところ金曜日は“安保”を学びに横浜桜木町へ。
今日はその3回目にして最終講座だった。
日米安保条約というのは、何を考えるにしても
好むと好まざるとに係らずいまやすべてのベースになっている。
日本とアメリカの関係を考えるにあたっては、これを抜きにはムリってことだ。
子どもの頃に「ララミー牧場」や「コンバット」や「奥様は魔女」をお茶の間で見ていた私は
アメリカという国は広大でカッコよくて進んでる日本のお手本のようなイメージをもっていた。
でも、アジアの一員であり東洋の国、日本がなぜアメリカの後ろをいつまでもくっついていかなきゃいけないのか???
大人になりつつあった私、もうかれこれ28年くらい前になるけど、そんな疑問を持つようになった。
*******
吉田茂が調印した旧安保条約は1952年4月28日に発効。それまでは「占領軍」だったアメリカがこの日からは「駐留軍」となった。
その後、新安保条約(現行安保条約)が1960年6月23日に発効。10条からなる内容をひとつひとつ見ていくと実に実に面白くそしてムカつく。
安保条約はどうしても軍事同盟としてのアメリカとの関係にばかり偏りがちに見てしまう。少なくとも私はそうだった。しかし、旧安保条約では展開されなかった経済的協力が新安保では2条に出てくる。
つづきはまた明日。good night。
投稿情報: 22:22 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
浦賀には「浦賀国際文化村推進協議会」があり、今日はその総会だった。
この会は、もうつくられてから、20年余になるのではないかと思う。
歴史の教科書にも出てくる浦賀。
もっと活性化したい。
そんな思いをもってスタートしたのだろうと思うが、
残念ながら、名前負けしている感が否めない。
私も浦賀選出議員として、批判ばかりで終われるはずもなく
我が事として何とかせねばとの思いは増している。
今日は都市部からミュージアムパークの将来像として展示物をリスト化し始めたという話や港湾部からはプロムナードの工事の進捗状況の説明があった。
先日の咸臨丸フェスティバルでも造船技術に関する備品や写真の展示があった。またレンガドックはそれ自体が迫力ある産業遺産となっている。
プロムナードは今日の話では完成が平成27(2015)年とのことで、地元の要望を聞いて進めてほしいとの注文も出た。
上は渡船愛宕丸。浦賀の人々は「ぽんぽん船」と呼ぶ。下は咸臨丸フェスティバルで展示された咸臨丸の模型。
そうそう、この前、軍転法の本を読んでいたら、浦賀村の話が出てきた。
財政豊かな浦賀村が、貧しい横須賀村に取り込まれてしまったということが出てきて、独自に浦賀村でやっていたらどうだったのかななんてことを考えたりした。
地方の共産党議員と話していた際にも
「浦賀も横須賀ですか?」と聞かれて、一瞬びっくりした。
意外と浦賀が横須賀だって知らない人もいるのだ。
それくらい、浦賀はよく知られているし、独自性のあるまちと言えると思う。
浦賀は同じ異国の船でも空母じゃなくて黒船だしね。
投稿情報: 21:43 | 個別ページ | コメント (2) | トラックバック (0)
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