最近、特に感じること。
生活相談でいろいろ聞くと、
親子関係、兄弟関係が悪い人が多い。
家族の崩壊と言ってもいいかもしれない。
そんなケースの方を今日は長寿社会課へお連れした。
話を細かく聞いて、心がくたくたになった。
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貧困問題を精力的に取り組んでいる湯浅誠さんは、“溜め”と言う言葉を用いて「反貧困」という著書の中で次のように述べている。
「“溜め”とは、溜め池の『溜め』である。……“溜め”は、外界からの衝撃を吸収してくれるクッション(緩衝材)の役割を果たすとともに、そこからエネルギーを汲み出す諸力の源泉となる。/“溜め”の機能は、さまざまなものに備わっている。たとえば、お金だ。……しかし、わざわざ抽象的な概念を使うのは、それが金銭に限定されないからだ。有形・無形のさまざまなものが“溜め”の機能を有している。頼れる家族・親族・友人がいるというのは、人間関係の“溜め”である。また、自分に自信がある、何かをできると思える、自分を大切にできるというのは、精神的な“溜め”である」
私は、この湯浅さんの“溜め”という考え方が、ユニークで言い得て妙でずっと、心にひっかかっていた。
生活相談活動を通して、様々な人々を見ると、①お金がない②情報(知識)がないそして、③味方がいない・・・つまり家族や友人という安らげるコミュニティを持っていないということが共通している。
辛いときに、究極的に辛いときに、死の側にいかずに持ちこたえられるのは、自分を受け入れ、肯定してくれる人間的絆だと思う。
経済的なセーフティーネットは制度としてあるが、精神的なセーフティーネットは自らつくりだしていくしかない。
家族というのは最少の社会で、血のつながりは言わば不可抗力。
夫婦は別れれば他人だが、親子はそうはいかない。
民法上、双方扶養義務のある、その親子関係が崩壊しつつある。家族が崩壊しつつある。あるいは、崩壊した家族がそこここにあるのが、今の社会と言うべきか。
本当にやるせない。
開花すると、芳香が漂う。
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