光洋小学校は来年度から鴨居小学校と統合になる。光洋小学区の子どもたちは鴨居小学校へ通うようになる。つまり、光洋小学校はなくなってしまうのだ。今年の6月19日で創立36周年を迎えるが37周年はやってこない。
この光洋小へ息子は小2の2学期から6年生の卒業まで通った。私はというと4年間PTA役員をした。三方を海に囲まれた小学校はおそらく、日本中を探してもそう簡単にみつからないだろう。 今年20歳になった息子が通うころから全学年単学級つまり、1クラスしかなかった。よく言えばアットホームだが、年間行事の運営は困難を極めた。
私は予算や人事の問題で合理化して統合することには反対だが、子どもたちの人間形成においてある一定の人数は集団教育の観点から必要ではないかと思う。息子たちは5年間シャッフルされずに同じ顔触れでクラスを構成されざるを得なかった。
大人になってから思うことは、やはり多感な時期にたくさんの人々と浅くでも触れ合っておくことは必要ではないかということだ。いろいろなタイプの人間に接しておくことで、人として生きていく力をみにつけることができるのではないかと思うのだ。40代も真中になってくると、初めて会う人をどうも無意識にサンプルとしてカテゴライズしているむきがある。そのときに脳の記憶回路の中では、「この人は3年1組で一緒だった〇〇ちゃんに顔が似てる。でも性格は△△ちゃんにそっくり」などとシナプスが走っている。それで、潜在意識として総合的にその人とかかわっていくといったような・・・・。
頭ではわかっちゃいるんだけど、やっぱり、寂しいなぁ。昨日の運動会は「最後の運動会」なんて貼ってあってさ。
息子が入学した小学校は横浜にあったのだが、運動会当日に持たせてくださいというのがあった。それは5キログラム入りの米のビニール袋に新聞紙を入れたものだった。不思議で頭をかしげたが、運動会を見に行って合点がいった。それは子どもたちが腰を下ろす簡易シートだったのだ。横浜の小学校は校庭が狭いうえに児童数が多くイスを並べるスペースすらない。先生方が知恵を絞って考え出したのが新聞紙入り米ビニールの簡易シートだった。鮨詰電車のような人口密度の運動会を1年目で経験した私は光洋小の運動会へ行ってまたもやおどろいた。広すぎる校庭に少なすぎる児童数。遅く行っても特等席が簡単にとれた(笑)
私は中学を卒業したときに通った保育園に、そして大人になってから卒業した小学校に行ってみたことがある。メモリアルなことがケッコー好きで思いつきでそんな行動をしたものだが、想い出の街や建物が今でもそこにあるというのは何となく嬉しいものだ。そういうふうに考えると、運動会を眺めながら少々感傷的になった。気の早い人は「跡地はどうなるの?老人施設がいいなぁ」なんて言っている。
子どもたちは元気いっぱい。たくましかった。
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