「今、一番増えているのは共産党でしょ・・・」
前後の脈絡なしにイキナリだけど、これは他会派の議員の言葉。昨今のご時世を反映している。増えているというのは、支持者や党員のこと。多喜二の「蟹工船」が売れて(もっとも、「カニ光線」と勘違いしてる人もいるようだけど・・・バルタン星人の話かい?)ヒゲもじゃカールおじさんのマルクスが注目されて、我らが「党の優しい父さんである志位さん」(韻をふんでいる)が資本主義を叱りつけることをマスコミが歓迎している、このご時世。30年、40年の党歴をもつ先輩たちは、「こんなことは今までになかった。」と驚きを隠せない。もっとも、私のように子どもの頃の童話の理想世界を夢見て現実社会に嫌気がさし、今度は右手に憲法、左手に日本共産党綱領を掲げ社会変革こそわがミッションとカッコつける人間にとって、「社会のみなさん、気づくのが遅いよ~」と少々感じていたりもする。しかし、これで、選挙でググーっと票が伸びるとは到底信じられない。そんなに甘かぁない。
“反共”という言葉がある。
共産党とか共産主義と言うだけで顔をしかめる人もいる。マルクスも「共産党宣言」の中で自ら“妖怪”という言葉で逆説的に表現している。得体の知れないもの、怖いもの、現実離れしているもの・・・そんな意味合いになるかな。そして、弾圧の歴史から、そんな考えをもっていると、特高に捕まり拷問を受け殺される。周りからは村八分にされ、孤立させられ、人間らしい生活ができなくなる。・・・そんなイメージ。
しかし、そういうイメージがあるにせよ、実際に歴史をみると、共産党の支持者や党員の行動というのは人間として間違っていたというものはないように思う。濁りのない目で見るならば、怖いもの、現実離れしているもの、非人間的なものは体制の側だったことがはっきりする。多喜二が拷問され虐殺されたのは、多喜二の思想の揺らぎのなさに特高が恐怖を感じてのことだろう。しかし、その恐怖の中身はなにか化け物じみたものではなく信念の強固さにこそあったのだと思う。特高は多喜二の思想の崇高さに恐怖したのだ。
北京五輪が開幕式から1週間が経ちいろいろな競技の模様が報道されると同時に、開幕式の裏話もいくつか聞かれるようになった。愛らしい少女の歌声は実はクチパクだったとか、民族衣装を身にまとった子どもたちは実はその民族ではなかったとか、花火の映像は一部合成だったとか。ブランド商品のイミテーションを売る店が並ぶエリアが紹介されていて、売る方も買う方も周知の事実で、それを前提に楽しんでいるんだとか。一緒にテレビを見ていた息子が
「中国ってパクリが多いよね」と言った。
パクリねぇ・・・。真似るは学ぶに通じるものだし、人類の歴史は多かれ少なかれいいもの、いいことの盗み合いで発展してきていると思う。だから、一概にパクリが悪いとは思わないのだけど、このところの中国の言動には少々下品さを感じる。誠実さが欠けているように感じる。しかも、臭いものにはフタって感じで報道規制もされているという。日本やアメリカだって情報操作はするので、(これは一昨日書いた内容)50歩100歩のところがあるが、こと社会主義国に対しては風当たりは強い。これは偏見だ。
「一党独裁はだからダメってことですかねぇ」テレビのキャスターが言った。
一党独裁を否定することで、2大政党制を待ち望んでいることを醸し出している。こうしてソフト反共イデオロギーが醸成されていく。中国は表面上は社会主義国だけど、資本主義の競争原理を原動力として国力を増強してきた。21世紀、間違いなく伸びる国だろうけど、正直少し不信感ももつ。毒物餃子の一件については国粋主義から程遠い私でさえも、「日本をなめんなよ」と思う。そういう感情が今の図式だと、日本では反共へと結びつくのが私としては歯がゆい。テレビのテロップには「中国共産党」の文字が出ている。
そんな思いを夫に言ったら、
「だから共産党という党名を変えるべきという意見がでるんじゃないの。」と言った。
まさに・・・そのとおり。こころある支持者の皆さんが本気で提案してくださっているのだ。党名問題については以前に自分なりに書いたことがある。以下、貼り付け。
日本共産党・・・そろそろ党名を変えるべきでは?とおっしゃる皆様へ
日本共産党を心からご支持いただいている皆さんからも、時々上記のようなご質問、ご意見をいただきます。極めて私見ではありますが、以下述べさせていただきます。私、大村洋子はこの共産党という党名が実は大好きです。19歳の時に初めてマルクスの「共産党宣言」を読み、目からうろこが落ちる感動を覚え以来、社会主義、共産主義の思想や理論を学習してきました。今すぐに社会主義、共産主義の世の中にならないにせよ、それに向けて少しでも努
力をすること、社会を良くする為に働くこと、真の人間解放を目指すこと、理論
を実践してゆくことが大切だと感じています。日本共産党は日本の共産党として1922年の結党以来、綱領を実践する地道なたたかいをしてきました。侵略戦争に反対して殺された先輩がたくさんいます。日本共産党という党名にはそうした暗黒の時代から脈々と受け継がれた魂が込められていると思います。ですから、変えるべきでない、変えてはならない、そういう重たい党名だと思います。また、他の政党がころころ名前を変え、離合集散する歴史の中で一貫して今日まで同じ名前で姿勢を変えず頑張ってきたのは日本共産党だけです。コミューン、コミュニティー、コミュニケーション、コミュニスト。共同体、共に何かを行う仲間、共に産み出す人間集団。素晴らしい名前だと感じます。日本共産党を恐れるばかりに「アカ」という侮蔑の用語を作り出しイメージダウンさせてきたのは向こうのねらいです。日本共産党という重く輝かしい党名を変えることは向こうの思う壺ではないでしょうか。私たちはこれからも誇りを持って堂々と進みます。失うものは何もないのですから!
これからも、日本共産党への変らぬご支援をよろしくお願いいたします。
日本共産党は第6回中央委員会総会で今、「政権の担い手の選択ではなく政治の中身の変革」が焦点であると決議した。私も全く同感。確かに担い手が変わっても政治の中身が変わらなければ意味がないのだ。ここのところを多くの国民・市民に訴えて理解してもらえるよう、頑張る。頑張る。頑張る!
夏の花・・芙蓉
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