想定外の待機というのはとても疲れる。先日、市役所の前にある郵便局(ゆうちょ銀行だってさ)に行ったら、30分くらい待たされて辟易した。オバサンパワー炸裂で、いっちょ、吠えて暴れるかぁと思ったけど止めた(笑)遠くから微かに「あんた、立場を考えなよ。」…天の声が聞こえた。
既に、世の中は黄金週間に入っていて、お休みの人がここぞとばかりに窓口で用事を済ませたいわけだ・・・気づくのが遅かった。
日本人は穏やかな民族で、じっと待たされること、我慢することを何か美徳だと思っている、そんなふしがある。
待つと言えば、昨日はガソリンスタンドに並ぶ車が延々続いていた。今日からまた暫定税率が復活してガソリンの価格が上がったので、その前に駆け込み的に入れておこうという人々であった。
子どもの頃にオイルショックというのがあって、たまにテレビで昭和の回想シーンが流れると決まって映像が映し出される。群衆心理とかで皆が同じ行動に走るってやつだ。
私はヘソマガリンなので、“みんなと一緒はイヤ”ってのがいつも根底にある。それで、こういうみんなが一斉に同じ行動をとるようなことはファシズムだと思ってしまう。ファシズムというとちょっとオーゲサなので、“プチ・ファシズ”って呼ぶことにしよう。
12月24日に仕事帰りのお父さんはみんな四角い箱を持っているとかね。あれはケーキ会社の陰謀だね、23,24,25、とパーティーをやったら、26にはさっさとお正月飾りとおせちの準備。あー日本人の変わり身の早さよ。キリスト教もイスラム教もヒンズー教もおいでなさい。それをひっくるめてヤオヨロズなんでしょうよ、きっとね。よく言えば柔軟な人々、悪く言えば節操のない人々。
話を軌道修正しなきゃな・・・・(汗)
つまり、今日はメーデーで横須賀中央の街を練り歩いたんだけど、歩いてる私たちを、見ている人々はどう思っているのかなって思ったんだ。待たされるのも慣れっこ、皆と同じことをするのが安心っていう思考。外からのものに柔軟に対応して、こだわりや拒絶感や疑問を持たない。持っていてもそれを表現はしない。日本人の国民性。
こんなふうに書くと国民・市民との乖離を露呈しているようだけど、そんな単純なことでもない気がする。社会を変えていくって立場は国民・市民に迎合するっていうのとは違うけれど、その傾向や体質をよく理解して相互に分かり合うってことが大事だと思う。
発達した資本主義社会における、民主主義革命と社会主義革命の受難(なんちゃってー)
お花さんは時が来れば自分をまっとうしてただ一途に咲く。
人間はそうはいかないなぁ。
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