秋の花粉症が始まっている。
このところ急に涼しくなった。
「秋ですなぁ・・・。」「秋ですよ~。」
画像は食欲旺盛なキアゲハの幼虫。
「はらぺこあおむし」という絵本を思い出した。
明日、本会議。一般質問。
“まちづくりについて”市長に質問する。
以下、その原稿。
日本共産党の大村洋子です。お時間をいただきまして、浦賀在住の私は浦賀のまちづくりという観点を軸に横須賀全体のまちづくりについて市長にいくつかお尋ねいたします。
浦賀のまちづくりについては過去にもさまざまな角度で他の議員が取り上げ、わが団としましても質疑をかわしてまいりました。横須賀のまちの変遷にあって浦賀もその例外ではなく、現在の状況とそして、今後についても伺っていきながら、市長の都市計画や都市イメージついてお尋ねしたいと思います。
さて、今年5月から7月に都市政策研究所が行ったアンケートで「あなたにとって横須賀の魅力的なところはどのようなところだと思いますか?」という問いに対して「海や緑など自然環境に恵まれている」という回答が83.1%とだんとつで1番でした。現在市内のあちこちで建設中断で放置され、緑が失われなおかつ、当初の計画も進まないという、言わば踏んだり蹴ったりの状態が目立っていますが、横須賀はまだまだ自然環境に恵まれていると感じる市民が多いということがこのことからもわかります。浦賀地域でいえば愛宕山は開発途中で緑が剥ぎ取られ、工事用重機も放置されたままで痛ましい景観となっています。市長はこのように83.1%と多くの市民が「海や緑などの自然環境に恵まれている」と答えていることをご覧になりどのような感想をお持ちになりましたか。お聞かせください。
さて、市外から遊びにやってきた友人に喜んでもらいたい。そう考えたとき、私たちは友人をどこへつれていくでしょうか。やはり横須賀の魅力的なところを知ってもらいたいと思うでしょう。同じく都市政策研究所が同時期に行った小中学生へのアンケートで「横須賀市のことでよそに住んでいる人に紹介したいことは?」という問いでは65%以上の子どもたちが「緑や自然がたくさんあるまち」をあげています。この結果は市民アンケートでの魅力的な部分にも合致しています。
このようにアンケート結果からみても交流人口の増加、集客促進、市外から多くのお客様を呼び込むためのしかけづくり、つまり観光資源という観点で自然環境をアピールするということはとても重要だと思います。猿島、観音崎などスポットが当てられてきた部分もありますが、浦賀、久里浜、あるいは西海岸、山で言えば大楠山、鷹取山と横須賀には魅力的な部分がたくさんあります。市民アンケートにも示されたように海や緑、自然をさらに打ち出して横須賀を知ってもらう足を運んでもらうそういう観点が大事と私は考えますが市長はいかがお考えでしょうか。お聞かせください。
さらにこのアンケートでは将来の横須賀像を考える際にヒントとなる中身が示されています。「あなたが考える横須賀市の現在の都市イメージは?」という問いでは「米軍基地、自衛隊がある「基地のまち」という回答が84.6%もありました。一方で「望ましい都市のイメージは?」という問いに
「基地のまち」を上げる方は非常に少なく2.9%でした。「望ましい都市イメージ」の1番は「高齢者、障害者をはじめ、誰もが安心して暮らせる「福祉都市」」で51.7%でした。ここから考察できることは、現在の都市イメージはみんなが望んでいる都市イメージとは大きく乖離しているということです。市長はこの結果をご覧になりどのような感想をお持ちになりましたか?またどのように分析し市民が望む都市イメージにどう近づいてゆこうとしているのかお聞かせください。
さて、アンケートでの市民の思いを踏まえこれからの横須賀をどうつくっていくのかについてお尋ねしていきたいと思います。
9月12日より「よこすか軍港めぐり」がスタートしました。私も総務常任委員会の視察で先行的に乗る機会がありました。百歩譲って横須賀の海を生かしての集客促進事業といえばそうかもしれませんが、これは明らかに米軍や自衛隊の施設や艦船を売り物にした企画であり、一部の軍事マニアには喜ばれ人気もあるかもしれませんが、市民アンケートにも示されているように望ましい都市イメージとはかけ離れています。私は市民が望むものとは逆行していると思いますが、市長はこのような企画を市民が望んでいると思いますか?お答えください。アンケート結果からもわかるとおり市民の多くは誰もが安心して暮らせる福祉都市が望ましいと考えています。本市が先頭になっての「よこすか軍港めぐり」はこの際やめるべきと思いますがいかがでしょうか。お答えください。
さて、私は8月に一期目の議員のグループの視察で本市と友好都市である会津若松市へ行ってまいりました。レトロバスに乗り短時間でしたが会津のまちを巡り古いものを大切に保存している姿を目の当たりにしてきました。年季の入った蔵などがいくつもあり町全体が骨董品屋さんのような雰囲気で豊かな奥行きを感じることができました。訪れる者に懐かしさと安ど感をもたらす町並みでした。観光資源といった時に何か奇をてらった目玉商品のようなことを考えることもありますが、私は歴史や文化のように一朝一夕にはできない長い年月かけて育まれた、そういうものこそ大事にするべきだと思います。長期間で醸成されたものは流行り廃りがなく、それが都市の豊かなイメージにもなってくると思います。本市は友好都市である会津若松市のまちづくりについてもっと多くを学ぶべきではないでしょうか。市長も会津若松市を訪れていらっしゃると思いますが、どのような印象をお持ちでしょうか。お聞かせください。
私は会津若松市の視察から帰って、横須賀のまちづくりを考えた際に、自分の住んでいる浦賀の地域こそ歴史や文化の宝庫であることを改めて見直しました。浦賀の良さが目の前に浮かびあがってきました。
浦賀は土曜、日曜ともなりますとナップザックを背負った中高年の方々が、浦賀駅に降り立ち、観音崎方面を目指し東浦賀へ、はたまた燈明堂や久里浜方面へ向かう方々は西浦賀へと少人数で、あるいは団体でとハイキングを楽しむ姿をお見かけします。
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船)たった四杯で夜も眠れず」と狂歌にうたわれたとおり1853年浦賀沖への4隻の黒船来航によって日本の歴史が大きく動いたことはあまりにも有名です。天然の良港と言われるリアス式海岸である浦賀港の東西には叶神社があります。通常狛犬は左右で阿吽、一対であるのに、ここでは大変珍しく湾をはさんで東西で対をなしています。また、多くの方々がご存じのとおり、住重工場跡地内には世界でも希少なレンガドックがあります。このように歴史、文化、地理、そして産業遺産とどれをとっても稀有な特徴をもった浦賀は本来もっと横須賀のまちづくりとして打ち出していくべき素晴らしい観光資源ではないでしょうか。浦賀を訪れる観光者は歴史の舞台にロマンを抱き、いにしえの香り漂う神社・仏閣を巡り横須賀というまちを再発見したいと期待するのではないでしょうか。
浦賀は御承知のとおり四季にわたり多彩なお祭りがあります。春には「咸臨丸まつり」、夏には先月行われた「みなと祭り」。秋には2年に1度行われる「観音崎フェスタ」そして冬には「中島三郎助まつり」です。8月に行われた「みなと祭り」では西岸のいわゆる陸軍桟橋で引き揚げ者56万人のうちコレラの感染などで上陸できなかった方々や水難事故で亡くなった方々の供養がありました。大灯篭が設置され多くの屋台が出て、夜は花火があり夏の夜の憩いが展開されました。また、住重工場跡地内では海に親しむという点でシーカヤックなどに乗ることのできるイベントもあり子どもたちの参加もありました。
このように、浦賀国際文化村推進協議会や観光協会をはじめ地元の方々の尽力により浦賀のまちを知ってもらいたい、多くの人々に浦賀を訪れてもらいたい、そして地元の子どもたちにこの素晴らしい歴史や文化を伝えてゆきたいという粘り強い努力や工夫がされています。
このように他には揃えられぬほどの要素が浦賀には有形無形に存在していますし、横須賀のまちづくりという点で、1つのモデル地域になるのではないかと思っています。会津若松市にも通じる歴史や文化を中心にしたまちづくりの展望が浦賀にはあると思うのですが市長は浦賀のまちづくりについてどのようにお考えでしょうか。お聞かせください。
さて、具体的なことをお尋ねしていきたいと思います。浦賀のまちづくりと言った際にやはり一番のネックは浦賀港再整備計画だと思います。浦賀の歴史を振り返ると、干鰯問屋が立ち並び日本全国の物品の流通と情報が飛び交っていた江戸時代そして造船のまちとして、多くの労働者が働き活気に満ちていた近代も浦賀港が大きな役割を果たしていました。まさに浦賀のまちが息を吹き返すためには港の活用がポイントです。
住友重機械工業浦賀工場が閉鎖されて早、5年半。西岸のプロムナード構想や土地の一部が、市民に開放され仮設的公園として、憩いの場に活用されていく方向性で進められていることは存じていますが、何といっても本体部分の工場跡地と万年塀の撤去の要望が強いのは事実です。
わが団としましても、澤田市長の頃から、住友重機の跡地は無償、もしくは安価で横須賀市へ寄贈してもらえるように交渉をと提案してきました。そして澤田前市長も井坂議員の問いかけに対して「全部無償で市に寄贈してもらうことは、企業の論理から見て難しいと考えます。とはいえ、住重は浦賀のみならず横須賀とともに発展をしてきた地元企業ともいえますので跡地の土地利用については寄贈も含め、何らかの協力が得られるよう努力したいと考えております。」と答弁をされました。蒲谷市長もこの澤田前市長のお考えを引き継いでいらっしゃると思います。
あらためてお尋ねいたしますが、住重工場跡地利用についてどのようにお考えでしょうか。また、昨年暮れに住友の方と懇談をされていると思いますが、市としてどのようなスタンスを表明されたのでしょうか。お聞かせください。
まちづくりと言った際に、浦賀を例にとれば、住重の動向に非常に左右される言わば「企業城下町」といった体をなしてきたまちにたいして行政がどうかかわっていくのかは非常に大切な問題だと思います。浦賀はまちによって企業が伸び、企業によってまちが活性化されてきた動かしがたい歴史の中で、今住重の閉鎖から5年半、まちの体力が衰退して来ているといっても過言ではない状況です。市長が提唱されている「元気な横須賀」が残念ながら浦賀では実感できない状況です。浦賀に住んでいる人も商売をしている人もまた、訪れる人も皆さん、浦賀の復活を願っています。
そこでまずまちの活性化という点では玄関口とも言うべき駅舎の使い勝手が大事と思います。先日、地元選出の他の5人の議員の皆さんと共に浦賀駅のバリアフリー化の件で京浜急行の方々と懇談をしエレベーターが2基そしてトイレは車イスでも使用でき赤ちゃんのおむつ替えもできるなど多目的なスペースにしたいというお話を伺いました。浦賀駅は市内21駅中で5番目に乗客数が多く1日平均1万2千人以上の利用となっており、バリアフリー化の要望も非常に強く出ています。昨年、工事に予算計上されましたが、それが結実せず、地元の多くの方々をがっかりさせたという経緯があります。京急の方々のお話ですと、来年度には完成させたいということでした。1度つけた予算が執行されずに終わったことから市としても慎重にならざるを得ないのは予想がつきますが、浦賀駅利用者の皆さんが強く望まれていることですので、ぜひ市としても早期の実現を目指して進めていただきたいと思いますが、市長のお考えをお聞かせください。
以上、縷々述べました。集客促進、観光資源という外からのお客様を呼ぶまちづくりという観点と、住んでよかった、住み続けたいという愛着あるまちづくりは表裏一体だと思います。また浦賀のまちづくりはひとり浦賀だけの問題ではなく、景観条例の具体化の件でも開発行為との関係においても市民協働のまちづくりという観点でも横須賀のまちづくりにとって大きなヒントが隠されている、課題が凝縮されているところとみてとることもできると思います。横須賀がほんとうの意味での「国際海の手文化都市」となるために、以上、思いをこめて市長に質問をいたしました。ぜひ前向きなご答弁をお願いいたします。答弁内容によっては2問目をさせていただきます。
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