« 2010年5 月 | メイン | 2011年2 月 »
今日は、森崎を通ったので、気になって見てみた。
旧横須賀高等学校の用地は昨年2010年の8月27日から土地と建物を購入して活用する事業者を募集していた。
しかし、締切日の昨年12月24日まで応募がなかった。
以前は、「草がぼうぼうになっている。」とか「カラスが校舎の中に居ついている。」などという苦情なども聞いたことがあるが、今はまさかそんなことはないだろう。
市は募集条件を見直して再公募するというが、無理に売ってしまうことはないのではないか。
「高齢者の憩いの施設にできないか」とか「朝市のようなマーケットをしたらどうか」などという意見も聞いている。確かに、常設の何かでなくても、フリーマーケットだとか、地域や団体の運動会などに利用するという手もある。
なにもすぐさまお金に換えなくても、市民の役に立つものとしてフリースペースとして市が所有していてもいいと思う。
投稿情報: 20:13 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
C型肝炎にかかったのは、以前行った痔の手術の際の輸血のせいではないか・・・真相究明のために手を貸してほしい。
そんな相談を受け、一緒に取り組みはじめた方と
昨日は、鎌倉の由比ヶ浜にある保健福祉事務所に行ってきた。
C型肝炎訴訟の問題は、つい先日もテレビで放映されていた。
全国に350万人ともいわれている薬害肝炎の感染者は給付金受給にいたるまでには
医師からの証明やカルテの記載確認など、立証するための行動に多大など努力をしなければならない。
薬害問題というのは、詳しくはわからないのだが、
人類に課せられた大問題だと思う。
薬学の進歩、流通の進歩、利潤第一主義、各国の格差、生命倫理・・・いろいろな要因が絡み合うことで生まれる。
「ナイロビの蜂」という難しいくてあまりよく理解できなかった映画を少し思い出した・・・・。
逗子から鎌倉へ。江の島の向こうにうっすらと富士山が見えた。
投稿情報: 05:45 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
雲ばかりで風も冷たい中、京急久里浜駅頭と浦賀駅頭で1時間ずつ、市議会報告を 行った。
衣笠にある春光学園(養護施設)にもタイガーマスク伊達直人さんが5人も現れ、お金や文房具の寄付があったことなども交えて話した。
それから、昨日、港湾総務課と話した際に、浦賀の渡し船の看板にトイレありますのマークを付けましたと職員から報告を受けたので、それを見に行ってきた。
前から、バス通りから見えるところにトイレありの標識を付けてほしいと要望していたものだ。
浦賀の西側にはトイレがあるのだが、東側には長いことなかった。そしてボートパークのトイレができたが、残念ながらそこにトイレがあるということが、わかりにくいのだ。これならわかる。市外からハイキングで訪れた方々も気づき利用してくれるだろう。
夜は党旗開きがあり、発言をした。
当然、選挙を頑張る決意を述べた。
「政策が全然語られてなかったよ。」Nさんから注意された。
厳しいゴシテキ。
2期目にかかる選挙戦も勝ち抜き、
引き続き議会で働きたい。
昨年はやっと地に足をつけて自分の言葉で質問ができるようになったと
手応えを感じることができた。
まだまだやりたいことがたくさんある。
その後、地元の荒巻町内会のみなさんとの
賀詞交歓会に参加し、楽しいひとときを過ごした。
お神輿やお囃子の若い方や地域の民生委員さん
かもめ団地に住んでいたよという方などと、話をすることができた。
アルコールも入って、いい気分で帰宅した。
投稿情報: 21:58 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
菅直人首相が内閣再改造を行った。
マスコミで“目玉人事”と報道されたように、たちあがれ日本を離党した与謝野馨氏が経済財政、社会保障・税一体改革の大臣に抜擢された。
私の感情としては、がっかりした・・呆れた・・・与謝野さんには幻滅・・・だ。
昨年から与謝野氏が内閣改造の際に入閣するのではないかとのうわさがあった。
私は、ブログの中で国粋主義者のみなさんに対してずいぶん辛辣な批判をしてきた。
「美しい国」をぶちあげた安倍晋三元首相に対してなど、今となってはかなり失礼だと思うようなことまで、書いてきた。
右翼のみなさんとは考え方が全然違いうのだから、徹底的に批判をすることで、自己の考え方や思想を点検してきた。
現代の日本には思想信条の自由があるわけだから、
一人ひとりみんな違ってみんないい。のだ。金子みすゞの世界が広がっている。
安倍氏かつて「美しい国」を吹聴した際にもその根底には、
今の日本の現状を憂う気持ちがあるのだろうと、察していた。
与謝野氏が「たちあがれ日本」を立ち上げた際にも共通して
日本の今の閉塞感を何としても打破したいという、やむにやまれぬ思いからなのだろうと勝手に解釈していた。
左であれ、右であれ、イデオロギーすら超えて、今の日本じゃダメだ。なんとかしなきゃという思いがあるのは当然のことだ。
それなのに・・・今回のこの事態はなんだ?
「与謝野さん、あなたには志はないのか?」と言いたい。
経済財政通の手腕をこの時期に振るいたい、事態を打開したいという思いはわからなくもないが、自分の政治軸を投げ捨ててこれから何をしようというのか。
72歳といういわば、政治人生の集大成のこの時期に「転向」してしまったことは大きな後悔につながるのではないか。
同じように有権者に責任を負う政治家として、今回の与謝野氏の言動にはまったくがっかりであり、悲しい。
画像は下記のページからです。
http://www.bing.com/images/search?q=%E4%B8%8E%E8%AC%9D%E9%87%8E%E9%A6%A8&FORM=MSNH&mkt=ja-jp
投稿情報: 08:42 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
「道路のボコボコを直してほしい」市民の方から要望があり、現地を見に行った。
小矢部1丁目の細い道路。
500mくらい歩くうちに陥没していたり変に盛り上がったりしている箇所がいくつも確認できた。
今日は、ご当人と一緒に道路補修課を訪ね直接写真を見せながら説明して直してくれるよう依頼した。
現地は細い道で曲がりくねっていて、民地と市道の境目が入り混じっているようなところなのだ。
そして、実は驚くことに民家の下を市道が走っているところもあるという。
やっと今年度地権者の確認ができて、いよいよ来年度からは、水道管やガス管も含めて、抜本的に道路の整備に入る方向だそうだ。
一緒に行った80代の方曰く「私は地元の小学校に通ったが、その頃には既に今のような道路だった。」とのこと。つまり、市道だとされている地面の上にはかなり前から人が住んでいたということだ。「既に住んでいる方に対して、すぐに立ち退けとは言えない。しかし、家の新築などはできないことになっている。」と職員が説明してくれた。道の整備というのは、気の遠くなるような時間をかけて行われるものなのだなぁ・・・勉強になった。
ところで、画像のような箇所だが、“パッチング”と呼ばれる臨時補修は可能だということなので、それはさっそくお願いした。
そうそう、吉田市長は「日本一歩行者にやさしい道路を目指す」(確かそんな表現だった)を標榜していたっけ。
実にあいまいで、実に誇張した彼らしい表現だ。
やる気を示したとでも言うのだろうか。
今日のところはそう受け止めることにする。
2週間くらいで、パッチングは出来上がるというから、その頃また行ってみよう。
投稿情報: 22:57 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
今日、お会いした83歳の女性にタイトルのようなことを聞かれた。
確かに高齢の方からは、ゴミ出しが大変とか庭の草刈りが自分ではできないとか
買い物に行くのが一苦労とか様々な悩みを打ち明けられる。
介護保険の制度は、料金ばかり取られて、使い勝手が悪いという声がすごく多い。
元気な方と介護保険の利用者とのはざまになっている方々の生活を
どう支えるか・・・これは今後ますます問われてくることだ。
よく「自助」「共助」「公助」などという言葉を聞く。
「自助」と「共助」、これはある意味で、公が財政出動を回避するために吹聴しているのではないかと思われる節がある。実際そういう意図があると思う。法的根拠の全くない「思いやり予算」は大盤振る舞いしながら他方、医療や介護にはお金を渋るという自公政権からの「伝統的」流れが相も変わらず続いているところを見るにつけ、「自助」「共助」なんて言葉を聞くと胸が悪くなる。
とはいえ・・・コミュニティが崩壊している現実を見ると寂しい思いもする。
できないことが増えていくとき、それを誰かに気軽に頼めるというのは、どんなに安心なことだろう。お金でドライに解決できれば、それもいいかもしれないが、やっぱり、ご近所づきあいなんだと思う。
そして、公的サービスが充実していればなおさら良い。メニューが充実していて選べれば、保険料を払ったかいがあるというものだ。そんなふうにならないだろうか。
そんなふうにするために頑張りたい。
投稿情報: 20:28 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
昨日は、左肩が痛くて上がらなくて
もしかして五十肩?
いや、まだ40代だからせめて四十肩?
てなわけで、一日家でシンミョウに過ごした。
これを書いてる今現在はだいぶ良くなったので、
四十肩ではなくて、疲れかな・・なんて勝手に解釈してる。
シンミョウついでに、久しぶりにおもしろい映画を観た。
松田翔太主演の「イキガミ」。
小学校入学式の際に新入生全員に注射をする。その子どもたちの1000人に1人の注射の中には18歳から24歳までの間に死ぬよう仕組まれたカプセルが入っている。これは、国家繁栄予防接種と呼ばれ、「死」への恐怖感を植え付けることで、「生命の価値」を再認識させ、それが国を繁栄させる根幹の思想だとする。松田翔太演じる藤本はその死亡通告書「逝紙ーイキガミー」を本人に届ける厚生保健の勤務員である。この「イキガミ」を受け取った青年を巡って様々なドラマが展開される。
奇想天外で、ありえない設定なのだが、いろいろな要素が
盛り込まれていて、考えさせられた。
「イキガミ」というタイトルはもちろん戦争中の「赤紙」と重ねていて、
国家のために死ぬことは犠牲ではなく名誉なことであり、
お国の礎となるという考え方であるとしていて、作者はそれを揶揄していると思われる。
この映画には、
全体を維持するためには少数者を切り捨ててもよいのか?
という命題が底流にあるように感じた。
これは、実は会社を維持するために従業員のリストラはやむなし、という考え方とも通じるものだ。
リストラはそれ自体つらいものだが、次の会社へ行くことができるので、その人間は選択肢を絶たれない。
しかし、「イキガミ」を受け取ることは文字通り死の宣告であり、どうすることもできない。
国と国民の関係とはなんだろうか・・・と考えさせられた。
この数年、「デス・ノート」「カイジ」「インシテミル」などを観る機会があった。今回の「イキガミ」も難しい命題を提示している。映画は本当にいろいろなものを考えるきっかけを与えてくれる。
投稿情報: 06:15 | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント