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2011年5 月26日 (木)

コメント

スカオヤジ66さんは浦賀に独特の感情をお持ちのようですね。
浦賀というまちは干鰯問屋で繁栄し、住重で繁栄ししかし、ご案内のような引き揚げの歴史ももっているという紆余曲折を経たまちですね。
愛宕山の無残な状態については、私も心を痛めております。
引き続き、都市部との懇談をして県や国にも開発についての要望を上げるように働きかけていきます。

浦賀国際文化村推進協議会の構想を見ていると早く実現して欲しいなと思っているのですが、プロムナードが2015年の完成というスケジュールでは、構想の実現まで寿命は無いなと残念です。

ペリー来航の際、時の幕府は通訳の為蘭学医を全国から呼び寄せたようです。鳥取で医師をしていた曽祖父は浦賀を訪問していたようです。そのことから、定年になった父は浦賀で定年後を過ごそうと昭和46年に一家で引っ越してきました。そのほかに、父は舞鶴港に引き上げてきましたが、浦賀港に引き上げてきた56万人の中に知り合いでもいたのでしょうか浦賀に愛着があったようです。
当時はまだ浦賀港からまぐろ漁船も出港しており、昭和38年ころまでは千葉の金谷航路も消防署の所から出港していましたし、浦賀ドックも活気がありなかなかいい街だと思っていたんですがね。
金谷航路は久里浜へ、マグロは三崎へ行ってしまい、その三崎も最近は水揚げは減っているようで、三浦半島全体が厳しいですね。
横須賀の中でも浦賀が一番厳しいような気もします。
浦賀インターチェンジが出来てしまいましたが、出来たらできたでうまく活用できたらと思うのですが、観音崎公園とうまく連動していないようですし、久里浜花の国とも関連づいていないようですね。愛宕山公園を無残に壊してしまう横須賀市政に望んでも無駄ですかね。

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